立ち読みコーナー
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 ずっと、愛してた嘘
  あとがき
 ずっと、愛してた嘘

 都心から電車で一時間ほど東へ走ったあたりに、嵯峨悠人の通う大学はある。
 構内を路線バスが走っているくらい広大な敷地に、ゆったりと校舎が建っている。緑も多く、環境は非常にすばらしいが、校舎間の移動には自転車がないとつらいところが、玉に瑕だ。
 四月、新入生がそろそろ学内の「地図」を頭に入れたであろう頃。
 校舎一階の休憩所で、自動販売機の紙臭いコーヒーを飲みながら、悠人は、春の日を浴びてキラキラと輝く葉桜を見て、綺麗だなぁと微笑を浮かべた。
「今日はバイトも休みだし、本買ってソッコー家に帰って、のんびりしよう」
 はあ、と小さな溜め息をこぼした。悠人はこの春で三年に進級した。もうあと数ヵ月で就職活動が始まる。大学に入学して以来、塾講師のバイトを週に六日、続けているので、今でものんびりした日常とはほどとおいが、就活が始まったらすさまじく忙しくなるだろうと思つている。
 コーヒーの最後をズズッと飲んで、クシャッと紙コップを握り潰した時だ。
「嵯峨~。探し回ったよ~」
「んー?」
 顔を上げると、クラスメートの窪田が近づいてくるところだった。金色に近いほど明るく染めている髪を見るたびに、悠人はトウモロコシのひげを思いだしてしまう。窪田は手近な椅子にドサッと腰掛けると、目をキラキラさせて言った。
「合コン、合コンっ」
「合コン~? 今から~? 僕はパス。めんどくさい」
「いやもう、そこをなんとか! 相手O大なんだよ、九十パーセント、可愛い子が来るから~っ」
 窪田は拝まんばかりだ。O大は私学としてはもっとも古い歴史を持つ大学で、政財界にO大閥という派閥があるほどの名門校だ。都心に学舎があり、受験生の人気は非常に高いが、授業料も非常に高く、裕福な家庭で育った学生たちが大半を占める。そしてまた、他大学からは、「女の子のレベルがヤバい」、つまり美女率が高いことでも有名だった。だから少しお高くとまっているという面もなきにしもあらずで、O大女子との合コンは、向こうがメリットを感じてくれなければ実現しない、なにやら「未来の旦那の青田買い」的な匂いがするのだった。
 悠人は微苦笑をすると、ポンと紙コップをごみ箱に投げ入れて、窪田に答えた。
「だから行けばいいじゃん。向こうがO大なら、行きたい奴たくさんいるだろ? 人数が足りないなんて、…」
「人数なら嵯峨以外、一瞬で揃ったよ。今日は男女合同なんだよ、男七人、女子七人。あとは嵯峨だけなんだよ、頼むよ~」
「だから、なんで僕」
「向こうのご指名なんだよ~。嵯峨悠人くんを連れてきてくれたら、合コンしてもいいよってさぁ~」
「はぁ? O大の子がなんで。自慢するけど、僕んちは貧乏だぞ。僕と付き合うメリットは百パーセントないけど」
「なにをおっしゃる王子様っ。この東の国で、イケメン悠人クンを知らない大学生はモグリと言われておりますぞっ」
「つっても、鄙には稀なるってやつだろ」
 悠人は苦笑した。悠人は自分の外見が、いわゆるイケメンの部類に入ることは自覚している。なぜかいつも潤んでいる大きな目や、細い鼻や、口角の上がった形の綺麗な唇など、パーツがどれもやや女性的で美しい。顔の輪郭も柔らかで、精力モリモリとは対極の、どこまでも優しい王子様のような甘い美形だ。髪は節約のために床屋で散髪をしているから、当然カラーリングもしていない漆黒だが、それが凛とした清潔感を与えていて、エスコートされたい男子ナンバーワンとして、悠人は冗談ではなく、社交的な大学生の間では有名なのだった。
 悠人にしてみれば、自分よりもはるかに男性的で、イケメンというよりも格好のいい男がいくらでもいることを知っているから、女子から見たら自分は、連れ歩くにはちょうどいい、無害で、アクセサリーにしたい存在なのだろうと思っている。
「なぁ嵯峨、頼むよ~っ。もちろんいつもどおり、会費は俺たちが持つっ。嵯峨はただ、飲んで食べてくれればいいっ。途中で先抜けしていいからさ~、頼むっ」
「今日、せっかくバイトが休みなんだよ、家でゆっくりしたいんだけど」
「悪い、悪いっ、あとで絶対埋め合わせするからっ、今回だけ、頼むーっ」
「もー……。じゃあ一時間だけ」
「感謝感激、雨霰だっ」
 窪田が満面の笑みを浮かべる。調子がいいんだからなぁと思いながら、悠人も椅子を立った。
 大学からバスと電車を乗り継いで、ようやく渋谷に到着する。O大はここから地下鉄で二駅だからいいだろうが、悠人たちは大移動だ。駅前のスクランブル交差点を渡りながら、せっかくのバイトなしデーが潰れていく、と悠人はがっかりした。
「窪ちゃん、場所どこ?」
「ゼクト」
「わかった。ちょっと僕、本屋に寄ってから行く。受付に言っといて」
「いいけど、このまま帰っちゃうとかなしだぞっ!?」
「行く行く、行くから」
 なんでこんな必死かなと微苦笑をして悠人はうなずいた。そもそも悠人は女性に興味がない、つまりゲイだから、女子との合コンなどまったく気乗りがしない。今回のように女子の餌として頼まれて参加するか、あるいは相手が悠人の興味のあること……、建築やインテリアの勉強をしている場合にのみ、率先して参加するくらいだ。
「……遊び相手なら不自由してないし……」
 大型書店へ向かって歩きながら呟いた。二股こそかけてはいないが、悠人には途切れることなく男がいる。全員が社会人で、悠人よりずっと大人の男ばかりだ。バイトを終えた悠人と食事をして寝たり、あるいは土日は、午後早くにバイトを終えた悠人と、どこかへ遊びにいって、食事をして、寝たり寝なかったり。綺麗な悠人を甘やかして可愛がりたいというスタンスの男ばかりで、セックスフレンドよりももう少しウェット、愛人よりもかなりドライな関係だ。
 悠人もこの状況に満足をしている。窪田に自分は貧乏だからと言ったように、母子家庭の悠人の家は経済的に苦しく、奨学金と週六日のバイトでなんとか通学できている状態だ。恋人を作って楽しく過ごしたいと思える余裕が悠人の心にはなかったし、性欲を満たしてくれて、デート代はすべて相手の男が持ってくれ、かつ、お互い、恋愛感情で束縛もしないという関係がベストだった。
「……あ、あったあった」
 眩しいくらいに明るい書店内で、目的の本を手に取った。本日発売の大判の写真集だ。芸能人のものではなく、写真家が世界を旅して撮りためてきた、住宅の写真集だ。少部数しか発行されないので、悠人にとっては目眩がするほど高額だが、どうしても欲しい本なので、エイッと購入した。
「あーもー、家に帰ってまったりじっくり眺めたいよ……」
 ギュッと写真集を抱きしめ、はぁ、と切ない溜め息をこぼした。

 合コン会場のゼクトという店は、会員制の高級カラオケバーだ。大学生の合コン会場としてははなはだ豪華すぎるが、O大や、それと互角のお坊ちゃま、お嬢様大学の合コンではわりと利用されているので、悠人も何回かここへ来たことがある。受付で名前を告げて部屋へ案内される間に、ケータイのアラームをセットした。
「こんばんはー」
 重厚な扉を開けて室内に入った悠人は、綺麗な愛想笑いを浮かべてそう言った。BGMとしてカラオケだけが流れている中、三つ置かれたソファセットに、男女が見事に同じ割合で座っている。そこそこ盛り上がっている室内は、悠人が登場すると、キャーともうわーともつかない歓声に満たされた。
「嘘ー、悠人くんだー」
「やだぁ、悠人くんが来るなんて知らなかったー」
「悠人くん、ここ空いてるよー」
「こっちにおいでよ、悠人くーん」
 あちこちから悠人を招く声がかかる。はい? と悠人は内心で首を傾げた。O大女子の言葉から、自分を指名したという話は嘘なのだとわかった。どういうことなんだよ、とちらりと窪田に視線をやると、窪田は、知らない知らないという身振り、つまり本当にご指名されたんだと伝えてきた。なんなんだ、と思いながら、悠人は女子と視線を合わせないように注意しつつ、窪田のテーブルについた。
「悠人くん、飲み物なににするー?」
「おつまみはどうするー?」
「お腹空いてるー? じゃあ食事に行かないー?」
 母親でなければ口数の多いホステスのような女子たちだ。悠人は級友の下心のために人当たりのいい笑みを浮かべて、そつなく相手をした。べつのテーブルで盛り上がっている女の子たちは、自分と同じ大学の女子たちだ。O大からもイケメンが来てるのかなと思った。
 一時間ほど「接客」をしたところで、先ほどアラームをセットしたケータイが鳴った。悠人はわざと溜め息をこぼすと、申しわけなさそうな顔を作ってテーブルを立った。
「ごめん、バイト先から。ちょっと外すね」
 待ってるねー、という言葉を背中に聞きながら部屋を出て、今度ははあっと本物の溜め息を洩らした。少し休憩したら、バイト先に呼び出されたと言って帰ろうと思う。煌めく夜景が見下ろせる、ホテルのラウンジのような豪華な休憩所に入ると、ありがたいことに誰もいなかった。奥まったソファに腰掛け、先ほど買った写真集を取りだす。無意識に微笑を浮かべ、表紙をそっと撫でた。丁寧に本を開いた時だ。ふと人の気配を感じた。女子の誰かが追ってきたのかと、内心でうんざりしながら顔を上げた悠人は、やってきた人物を認めた瞬間、呼吸を忘れるほど驚愕した。
(日下……叡一……)
 体が小さくふるえだす。一目でわかった。この五年間、一日たりとも叡一のことを忘れた日はなかった。叡一を最後に見たのは高校一年の夏休み前だったが、それからまた身長が伸びたのか、今の叡一は百八十に近いほど上背がある。しなやかだった体にはしっかりと筋肉がつき、逞しく成長していた。ほとんど黒に近いほど色味を抑えて染めてある髪も、昔と変わらず、くせ毛で緩く波打っている。男らしい直線的な眉も、しっかりとした鼻も、少し大きめの男らしい唇も、あの頃の面影を残しながら野性味を加えた容貌になっていた。生意気で挑戦的だった少年が、なにがしかの自信と歳相応の色気を身につけた大人の男になっている。
 その叡一を見た瞬間、
『ブタ』
 自分を蔑む声が生々しくよみがえった。
『おまえは俺のブタだ』
『俺のペット。俺の子ブタ』
 薄笑いを浮かべてそう言っていた叡一。クラリと目眩がした。あの頃に戻ってしまったような錯覚にとらわれた。
(お、落ち着け……、落ち着け……っ)
 止まっていた呼吸を、ゆっくりと再開する。大丈夫、と自分に言い聞かせた。今の自分は、あの頃の自分とは違う。ブタと呼ばれるほど丸々としていた自分は、今はもういない。あの頃、叡一の胸あたりまでしかなかった身長だって、百七十そこそこまで伸びた。急激な成長のために、体にたっぷりとついていた脂肪はエネルギーとして消費され、今やブタの名残さえとどめない、スレンダーな体になっている。顔だって、頬をぷよぷよにしていた肉は落ちている。あのブタと、今の自分が同じ人間だなどとは、誰も、叡一にも、わからないだろう。
(もし、僕がまだ昔のままの体型だったとしても、おまえは僕のことなんか忘れてるよな。
 だけど、僕は一生、おまえを忘れない。一生おまえを許さない)
 ふるえる手をぎゅっと握りしめ、悠人は綺麗な微笑を叡一に向けた。なにか? という具合に首を傾げてみせると、なぜか叡一は驚いたように目を瞠り、けれどすぐに魅力的な笑顔で言った。
「一人でなにしてるの。部屋に戻らなくていいの」
「見てのとおり、休憩中」
「あ、女の子たちに囲まれて大変だったもんな。俺も同じ部屋にいたんだけど、気がつかなかった?」
「ああ、O大なんだ。気がつかなかった、ごめん」
「いや、それはいいんだけど。……あの、俺……、日下、叡一……って、いうんだけど……」
「日下くん? えーと、初めまして」
 にっこりと笑顔を作り、初めまして、と言った。
「僕は嵯峨っていいます」
「嵯峨くんっていうの?」
「そうだけど……」
「あ、いや、ちょっとめずらしい名字だからさ。下の名前、聞いてもいい?」
「……悠人」
「悠人……、嵯峨悠人くんか。初めまして」
 そう言った叡一に、一瞬、怒りが爆発しそうになった。それをグッとこらえ、悠人はふっと笑った。悠人と正直に教えたのに、叡一は悠人があのブタだとは気づきもしない。自分は大村悠人だと教えても、きっと叡一は思いだしもしないだろう。高校中退後、引きこもった悠人が原因で、両親は離婚した。その時悠人は、大村から、母方の姓の嵯峨に変わった。叡一にとって嵯峨悠人は、まさに初対面の人間だろう。
(でも僕は、忘れてなんかいない)
 そっと深呼吸をして怒りを静めていると、叡一は熱っぽい眼差しで悠人を見つめたまま、向かいのソファに腰をおろした。
「本、なに読んでるの」
「これ? 写真集。住宅の」
「住宅? 建築に興味があるの? それともインテリァ?」
「建築っていうか、家が好きなんだ。住宅が」
「へぇ。建築工学、勉強してるの?」
「ううん、普通に政経。日下くんは?」
「俺も普通に経営。家が好きって言ったけど、趣味はなんなの? まさかマンションのチラシを見ることじゃないよね」
「趣味? うーん、植物の栽培かなぁ」
「へえ、ガーデニング?」
「そんな立派なものじゃないよ。シソとかミツバとかハツカダイコン。プランター菜園てレベル」
「いいじゃない。自分で育てたものを食べるのって感動するでしょ? それに新鮮だし、やっぱ味が違うんじゃない?」
「うん、味は全然違う。見た目悪くても、家で育てたもののほうが断然おいしい」
「だよね。ヘー、すごいな、俺もなんか育ててみようかな。まったくの初心者の俺でも育てられるような、なんかお勧めある?」
「うーん……、パセリかなぁ? そんなにたくさん食べるものじゃないけど、簡単だよ」
「パセリか。観葉植物にもなるよね。へぇ、やってみよう」
 にっこりと笑う叡一を見て、まさか、と悠人は疑った。叡一の、悠人を追従するような言葉も、悠人を見つめる瞳の熱さも、女の子の気を引こうとする男のものだ。まさか叡一は、そういう意味で自分に興味を持っているのだろうか? かつてブタ呼ばわりした自分を?
 悠人は驚き半分、疑い半分で、そろりと叡一に探りを入れた。