立ち読みコーナー
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 ミスリーディング
 ミスリーディング2
 ミスリーディング3
あとがき
 ミスリーディング


 派手なレモンイエローが眩(まぶ)しいフォード・エスコートが、タイアを鳴かせて外来者用の駐車スペースに滑(すベ)り込んだ。
 エンジン音が鳴りやむと、運転していた男はかけていたサングラスを外(はず)してちょっと眉を寄せた。そして気がすすまない気持ちを振り切るように、乱暴にドアを開けた。
 駐車場には、彼のエスコートが霞(かす)むほどの高級車ばかりが停まっている。
 なんとなく、嫌味(いやみ)なマンションかもしれない。
 エントランスからエレベーターホールまでゆったりとした空間があり、壁にローランサンなんか掛(か)かっている。そしてエレベーターホールの奥には、それほど広くないとはいえ住人専用のフィットネスジムまである。
 かなり、嫌味なマンションのようだ。
 このマンションに住んでいるということはそれなりの稼(かせ)ぎがあると思っても差し支(つか)えないだろう。ということは、彼らの仕事相手としてはVIP格に入るということなのだ。少なくとも、自分の上司に対してそれなりの発言権を持っている程度には。
 倉田(くらた)はこれから会う相手に関してそれほど多くは知らない。が、いい印象はまったく持っていなかった。
 伽奈(かな)ゆうき。イラストレーターで、年は倉田晴彦(はるひこ)より三つ上の三十二。そして、ゲイ。
 彼が知っているのはそれだけだ。


 最初に会ったのは数ケ月前、倉田が勤める出版社でだった。
 そのときは、当時伽奈の担当だった先輩から簡単に紹介されただけだった。
 神経質とまではいわないが線の細い華奢(きゃしゃ)な印象で、ロン毛がそこそこ似合うどことなく中性的な容姿(ようし)だった。とはいえ、それは特別に印象に残るほどのものではなく、正直倉田は彼に対してなんの感情も抱かなかった。
 そしてその数週間後、倉田は行きつけのクラブで偶然伽奈に再会した。
 倉田は、伽奈に比べるとずっと目立つ容姿で、それはハンサムといって差し支えなかった。だからこういう場所では相手に事欠(ことか)かない。
 この日も倉田は好みの男を首尾(しゅび)良くナンパして、いい気分でアルコールを飲んでいた。
 倉田は、ちょっと我儘(わがまま)でプライドの高いそして可愛(かわい)い外見の年下が好みだった。そういう相手とはなかなか長続きしないのが悩みの種なのだが、それでも充分楽しんでいた。
 付き合うにはちょっと物足りないが数回楽しむには文句はないと、早速ベッドに引っ張り込む算段(さんだん)を整えていたところだった。
「倉田、さん…?」
 突然声をかけられて、慌(あわ)てて振り返る。
 一瞬彼が誰だかわからなかった。が、すぐに思い出した。
「ああ、こんばんは」
「こんなとこでお会いできるとは…」
 嬉(うれ)しそうに笑いかけて、倉田に連れがいるのに気づいた。伽奈は彼にぺこりと会釈(えしゃく)をすると、それ以上は何も話しかけてはこなかった。
 そのときですら、倉田は加奈には殆(ほとん)ど関心がなかった。単に彼もお仲間かと思っただけだった。
 それから二週間前まで、二人の間に接点(せってん)はなかった。

 二週間前。伽奈は、倉田の会社が主催したある写真家の出版記念パーティに出席していた。
 ふだんパーティの類には滅多(めった)に顔を出さない伽奈も、美大の後輩という立場もあって出席していたのだ。
「あれっ、伽奈さんだ」
 それまで倉田と雑談をしていた同僚の木村(きむら)が、主役の写真家に挨拶(あいさつ)している伽奈に気づいた。
「珍しい。あの人でもこんなとこ来るんだ」
 倉田は木村の目を追ったが、その視線の先の人物が伽奈だとはすぐにはわからなかった。
 髪を短くしてはっきりと輪郭(りんかく)がわかるようになったせいか、ロン毛のときの優しげな印象とはかなり違っていた。ベリーショートで仕立てのいいスーツを着ている彼は、愛想(あいそ)のいい表情をしていてもどこかクールな印象さえ与えた。
「ちょっと挨拶してこよう」
 一緒に来るかと聞く木村に、倉田は肩を竦(すく)めてみせただけだった。
 ふと隣に人の気配(けはい)を感じて振り返ると、スーツ姿の女性が微笑(ほほえ)んだ。
「倉田くん、高田先生がいらしたら浅山さんにご紹介してね」
「玲子(れいこ)さん、とうとう編集長だって?」
 場所柄、ちょっと声のトーンを落とした。
「まだ辞令(じれい)は出てないのよ」
「でも殆ど決まりだろ? お祝いしなきゃね」
 玲子は倉田より五年先輩だ。入社当時は同じ編集部に居て、いろいろと世話になった。そのせいで彼女には頭が上がらない。
 今でもいい相談相手で、いい飲み友達でもあるのだ。
 彼は自分がゲイだということを親しい友人には話していた。それは玲子も例外ではなかった。
「ありがとう。…それより、最近どうなの?」
「なにが…」
 玲子はちらと倉田を見た。
 倉田は実は少し前に失恋したばかりだった。それも遊びのつもりで手を出した高校生がその相手だった。もちろん、彼である。
 その男子高校生は、結局幼馴染(なじ)みの同級生と晴れて恋人同士となって、倉田だけが取り残された。十歳も年下相手にいいように振り回されて、遊びのつもりが自分で思った以上に落ち込んでしまったのだ。そのことを玲子も知っていた。
「倉田くんのことだから、もう新しい相手ができたんじゃないの?」
「まさか。そこまで器用じゃないさ」
「まだ引き摺(ず)ってるわけじゃないでしょう?」
「まあ、そりゃあ…」
 倉田は言葉を濁(にご)す。自分ではふっ切っているつもりだったし、引き摺っているつもりはなかったが、暫(しばら)く恋愛から遠ざかりたい気持ちが強かった。
「ねえ、いい相手紹介しようか?」
「…玲子さん、自分が絶好調(ぜっこうちょう)だからって他人の恋愛に首突っ込まないでよ」
「まあそう云わないで。向こうも貴方(あなた)のこと気に入ってるみたいだから」
「…誰だよ」
 にやにや笑う玲子に、倉田は少し嫌な予感がした。
「倉田くんも知ってるはずよ。うちでも仕事してくれてる…」
 玲子の目がひとりの人物を探し当てた。
「あら、今日来てるわ」
 玲子の視線は、さっきまで木村と話をしていた伽奈に注(そそ)がれていた。
「…まさか」
「伽奈さんのことは知ってるでしょう? 先月特別企画で彼と仕事をしたのよ。貴方のこと聞かれたわ」
「……」
「彼そっちの人みたいよ。どう?」
「…興味ないな」
 倉田は突然不機嫌(ふきげん)になった。彼はこういうことを人づてに聞かされることが一番嫌いだったのだ。
「あら。けど倉田くんと伽奈さんってきっと趣味が合うと思うなあ。好きな映画とか音楽とかけっこう似てるもの。それになんとなく雰囲気(ふんいき)が合ってるのよね。だから…」
「あ、高田先生が見えたみたいだから」
 倉田は玲子の言葉を遮(さえぎ)ると、ちょうど入ってきたSF作家を言い訳にしてさっさとその場を離れた。
 玲子には倉田が急に不機嫌になった理由がさっぱりわからなかった。まさか自分のちょっとしたお節介(せっかい)が、二人の関係をややこしくしてしまったなどとは考えもしなかった。
 そしてそれは、同僚の木村も同じだった。
 倉田が作家の顔合わせに立ち合って戻ってくると、木村は待ち構えたように彼を捕まえた。
「おまえ、今確かフリーだったな」
「…おまえもだろ」
 倉田は木村が何を云い出すのか予測がついた。
「俺はいいんだよ。それよりなあ、伽奈さんどう思う?」
 やっぱり、と倉田は云いそうになる。木村はそれには気づかずにちょっと声を潜(ひそ)めた。
「彼もゲイだって知ってるか?」
「…玲子さんが教えてくれたよ」
 面倒そうに答える倉田を気にもせずに、木村はにやりと頷(うなず)いた。
「だからってわけじゃないけど、すごいいい人だし頭いいし好みもおまえに似てるし、絶対に合うと思うんだよな」
 木村が伽奈の宣伝をしていたが、倉田は殆ど聞いていなかった。
 まったく女子中学生じゃあるまいし、こんなことを他人に頼む神経がわからない。倉田の伽奈に対する印象はすっかり悪くなっていた。
 そのとき、伽奈の視線がふと倉田に止まった。伽奈はにっこりと微笑んで軽く会釈してみせる。まるで木村からの伝言を確認したようなタイミングだ。
 倉田は、思い切りそれを無視した。
 が、伽奈のアプローチはそれだけでは終わらなかった。
 倉田はその一週間後に辞令が下りて、伽奈の担当に決まってしまった。
 倉田は写真集やイラスト集の出版といったアート部門に在籍していたが、専(もっぱ)ら写真集が専門だった。それなのに急に伽奈の担当をすることになったのだ。
 確かに、玲子を始めとして数人の異動があったからそれは突然のことではなかったが、倉田には伽奈が仕組(しく)んだことにしか思えなかった。

「ミエミエなんだよ」
 エレベーターの中で倉田は思わず舌打ちした。
 最初の自分との打ち合わせ場所を、伽奈は前日になって自分のマンションに変更させた。それも自分が外出しているときに電話をしてきて、他の編集部員に一方的に伝言を頼むという強引さだ。
 そんな相手とこれから仕事の打ち合わせをしなければいけないのだ。倉田は不愉快きわまりない気分で、伽奈の部屋のインターホンを押した。
 すぐにドアは開けられて、ポロシャツにジーンズといった軽装の伽奈が自分を迎えた。
「…悪かったね、わざわざ呼び立てて…」
 恐縮(きょうしゅく)してみせる伽奈を、倉田は聞こえなかったふりをして無視した。そんなことわかってやっているくせにしらじらしい、そう思ったのだ。
 通されたリビングルームはそこそこの広さはあるようだが、そこを仕事場として使っているせいで物が散乱していてそれほど広く感じられない。
 倉田は想像していた部屋とかなり違うことで、少し戸惑(とまど)った。
 もっときちんと片付けられて、観葉植物なんかの鉢が置かれていて、シューベルトあたりが低く流れているような部屋を、勝手に想像していたのだ。
「…今、お茶でもいれるよ」
 伽奈はソファをすすめると、カウンター式のキッチンへ足を向けた。
「あ、おかまいなく…」
 一言断ると、倉田は足元に積み上げられている本を倒さないように用心してソファに座った。
「ウーロン茶だけど良かった?」
 てっきりリチャード・ジノリのティーセットでファーストフラッシュのダージリンとかが出てくると思っていた倉田の予想を軽く裏切って、おそらく銀行の粗品であろうピーターラビットの横に某銀行名のついたグラスに、ペットボトルのウーロン茶を注いでくれた。
「……」
「あ、麦茶の方が良かった?」
「…イエ」
 どうも、伽奈のイメージが思っていたのと少し違う。
「確か、いただきものの水羊羹(みずようかん)が…」
 云いながら冷蔵庫を開ける。それを倉田の声が止めた。
「あの、お茶だけでけっこうです。俺、甘いものダメですから」
 伽奈は振り返って倉田を見た。
「…そう」
 そして自分のためにエビアンのボトルを取り出すと、直接口をつけて勢いよく飲んだ。
 倉田の視線を感じて、伽奈はエビアンを口から離した。
「あ、そのウーロン茶は新しいヤツだから」
「はあ…」
 どうも調子が狂う。彼は冷蔵庫を開け放ったままでエビアンをラッパ飲みしている伽奈を見た。
 わざわざ予定を変更させてここに呼び立てたにしては、緊張感というものが感じられない。
 こいつはいったい何を企んでいるんだ、倉田はそう思わざるを得ない。だから伽奈の呑気(のんき)な態度がどうにも気に入らないのだ。