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 愛を売る男
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 愛を売る男 番外編ショートストーリー
あとがき
 愛を売る男


   プロローグ


 ――他人に価値を認められずに、人は存在できるのだろうか?


 しどけなく脚を開く。
 奥の奥まで、自分を曝(さら)け出す。
 膝(ひざ)を立て、太股(ふともも)を自ら抱えこんで脚を大きく開くと、本来は他人に見せるべきではない窄(すぼ)まりが、露わになる。
 そこに視線が注がれるのを感じるだけで、背中がぞくぞくしてきた。肌が熱を持ちはじめるどころか、後孔が自然と緩んでいこうとしていた。
 職業柄――今となってはかつての職業柄というべきかもしれないが――他人の視線は、意識するのが当たり前になっていた。
 けれども、今のような形で視線を意識することを、そして意識することで快楽が得られるというのを、男に抱かれるようになってから、泰巳(やすみ)は初めて知った。
「何、孔をひくつかせてるんだ」
 泰巳の内股にキスをして、男が嘯(うそぶ)いた。
 泰巳を抱く、男。
「嫁」と呼んで、傍にいろと言った。
 ……無価値になった泰巳にも優しく接してくれる物好きだ。
「ひくつかせてなんかいないよ」
 そう言いつつ、さらに奥を見せびらかすように脚をめいっぱい開く。
 泰巳はたった一つ、他人に認められていたものをなくしてしまった。だからもう、自分は価値のない人間だとしか思えない。
 それでも、彼が求めてくれるならば、セックスの相手は果たせる。役に立てる限り、傍にいてもいいのではないか。そう、思う。
 以前の自分は、こんな人間ではなかった。もっと自信に溢(あふ)れていて、もっともっと高慢だった。そして、他愛のない愛の言葉を囁(ささや)けば、欲しいものはすべて手に入った。
 けれども、自信の源を失った。それ以来、泰巳は体も心も宙ぶらりんだ。そんな泰巳を唯一この世につなぎ止めるのは、彼だ。
 その肉楔のたくましさで、泰巳をつないでくれる。
「なんだ、自然に開いたって? ……やらしいなあ」
「……栃沢(とちざわ)さんのせいだよ」
 右の太股を抱えこんでいた手を離し、泰巳はするりと胯間(こかん)に指を滑らせる。
 そして、張り詰めたそこを下から持ち上げて、奥の孔へと指を伸ばした。
「あっ」
 思わず声が漏れる。
 後孔が開いていることを、自分自身の指でも意識した。内側は潤んでいて、物欲しげにひくついている。
 指を軽く揺らすと、中の赤い肉が露出しているのがわかる。肉襞に視線を感じて、そこが恥じらいのあまり歓喜してくる。
 男は喉を鳴らした。
「どこでそんな誘い方覚えてきた? ん?」
「……栃沢さんが喜ぶと思ったんだよ」
 彼が喜ぶから、する。
 必要だと思ってほしいから、価値がある存在だと思われたいから、そうしている。
 さもないと、泰巳はこの場にいていいのかどうか、わからなくなるからだ。
「可愛いこと言うなあ」
「ん……っ」
 脚の間に入りこんできた男は、肉厚の口唇で熱っぽくキスを奪いにかかってきた。口唇に喰らいつかれると、体の芯から持っていかれそうになる。
 胯間同士が擦(こす)れると、ねっとりとした音が立った。お互いに先走った欲望を垂れ流している。体液が絡んだ淫らな摩擦音が、よくてたまらなかった。
 気持ちいい。
 今までしたことのあるセックスが、まるで子供騙しに思える。それほど、男とのセックスは好(よ)かった。
 彼は泰巳の目を覗(のぞ)きこむと、にんまり笑った。
「おまえが、こんなになるなんて、思ってもみなかった」
「……あ…」
「俺の腕の中で、とろとろに溶けちまうなんて」
 泰巳の口唇を貪りながら、男は譫言(うわごと)みたいに囁いた。
「だって……、栃沢さんが熱すぎる……から」
 重なった性器を意識する。泰巳のそれも硬くなっているが、栃沢のものも火傷しそうなくらい火照(ほて)っている。
 欲望の形を意識するだけで、喉が鳴った。
「このまま全部溶けちまえよ。そうしたら、俺がみんな作り変えてやるから……。おまえのしがらみも、みんな」
「ん……っ」
 何度も口唇を吸われる。意識を持っていかれそうになる。そのまま、全部吸い取らんばかりの激しさで。
「だからいつか、俺の愛を思い知れ」

(愛?)
 それが何かわからなくなったのは、売り物にしてしまっていたせいか。それとも……?


   1


「泰巳くんに、ドンペリピンク三本! 入れて」
 ぷるんとした口唇が、キスをねだるみたいにつんと尖(とが)る。
 その口唇にすかさず口づけを――バードキスなんてただの挨拶だ――して、榊原(さかきばら)泰巳は満面の笑顔になった。
「由佳(ゆか)ちゃんありがとう、愛してる!」
 テンション高く笑いかけて、華奢(きゃしゃ)な体を抱きしめる。すると、腕の中で「きゃあ」という声が上がり、ぎゅぎゅっと抱きしめ返された。
「由佳も、泰巳のこと愛してるー」
 女の子の柔らかい香りは、もともと嫌いじゃない。もっとも、仕事となれば、好き嫌いなんて軽く超えていくけれども。
 彼女――由佳は新宿(しんじゅく)の女王様だ。榊原泰巳にとっては、とびっきり大事な相手だった。
 泰巳は、不意に真顔を作った。
「……両想いだね」
 声は、一オクターブ低く。そして、耳朶のすぐ傍で囁きかける。
 真剣な眼差しに、甘さを宿して。
 夜の歌舞伎町(かぶきちょう)ですっかりすれたはずの由佳が、一瞬息を詰めた。
 頬が薔薇色に染まる。
 まるで、初恋をする少女のように。
 しかし彼女は、すぐに我に返ったようだ。顔を真っ赤にしたまま、照れ隠しのように泰巳の背中をばんばん叩いた。
「や、や、やっだー、泰巳ってば。もう、いったい何人と両想いなのよ!」
「今は由佳ちゃんとだよ」
 泰巳は笑って答えた。
 君一人とは、言わない。見え見えの嘘をついたって、女たちは冷めるだけ。それよりも、期待を滲(にじ)ませるだけの、曖昧(あいまい)な物言いのほうがいいこともある。
 ここは、夢を買う場所なのだから。
 泰巳の仕事は、サービス業。女たちにひとときの甘い夢を見せるホストだった。
 法改正などもあり、苦戦が強(し)いられているホスト業界において、泰巳の所属する『ラグナロク』は一定の売り上げを保っている。その底堅さ、強さは、ひとえにナンバーワンである泰巳に拠(よ)っていた。
 泰巳がホストを始めたのは、十八歳の時だった。以来、九年間、常にトップを走っている。その座を、誰にも譲り渡したことはない。
 明るいトークと、ほのかに匂う色恋の香り。それが、泰巳の売りだった。
 対価として大金を得ている以上、徹底して客を楽しませる。金を使ったことを後悔させない、というのが泰巳のポリシーだ。
 ノリよく、客をいい気持ちにさせて、恋の駆け引きめいた夢の中で遊んでもらう。自分の仕事内容に、泰巳はプライドを抱いていた。
「由佳は泰巳にお持ち帰りされたいなー」
 腕を絡められて、泰巳は言う。
「お持ち帰りされたら、食べてくれるの?」
「うん」
 こくりと、由佳は頷(うなず)く。子供っぽい顔でこんなことを言われたら、たいていの男は落ちるだろう。
 しかし、あくまでも由佳とはビジネスの関係だ。
 色恋めいたことを仕掛けても、決して一線は越えない。
 こういう仕事をしていく以上、あるていどポリシーは必要となる。泰巳は頑(かたく)なに、己のそれを守り続けているほうだった。
「お店でおなかいっぱいだって言ってなかったっけ」
「デザートは別腹だし」
 くすくすっと、由佳は笑った。
 彼女は、売れっ子の風俗嬢だ。可愛らしい容姿と、肉付きがよくていやらしい体のギャップがいいと評判だった。
 風俗嬢はホストの上客だ。特に彼女のような夜の女王様となれば、いわゆる太い客として、派手に遊んでくれる大事な人だった。
「俺は、由佳ちゃんのデザートになるより、一緒に遊びたいなあ」
 枕営業のお誘いを、泰巳はさりげなくかわす。
 由佳の性格的に、本気になったことを見せたら逃げられるだけだ。
 由佳は、きょとんとした表情になる。
「えー、どんな遊び?」
「映画見に」
 綺麗な巻き髪を撫でてやりながら、泰巳は悪戯っぽく囁く。
「映画ー? なんで」
 首を傾げる由佳に、泰巳はそっと耳打ちをした。
「由佳ちゃん犬好きだろう? 犬映画でいいのあるんだよ。絶対泣けるヤツ。俺、泣いている由佳ちゃんが見たい。絶対可愛いから」
 由佳の頬が、ぽっと赤くなる。彼女は、ちらりと舌を出した。
「泣かないよーだ」
「じゃあ、試してみる?」
「んー、どうしようかな」
 そう言いつつ、腕に絡めた指の力は強くなる。
 すっかり彼女はその気だ。
 何も、由佳を抱きたいわけじゃない。しかし、たまには店外のデートに誘うのも、仕事のうちだった。
 店外デートに誘って、その時は本当の恋人みたいにとびっきり優しく接し、当然全部泰巳が奢(おご)る。
 でも、後日奢った分以上の見返りを、彼女が与えてくれるわけだ。
 何気ない、本当にばかばかしい言葉の掛け合いの一つ一つが勝負。まるで刃(やいば)を交えているような緊張感と高揚感がある。
 泰巳がこの仕事を選んだのは、己の持つ最大の財産を生かすためだ。しかし、その財産が期限つきであるということを知っているから、技術を磨くのにも余念がない。
 他に何一つ取り柄がない。そういう自覚があるからこそ、泰巳は今の仕事にすべてをかけているのだ。
 相手が求める姿を、演じきる。
 そして、求められることが、泰巳の幸福にもつながっていた。

「由佳ちゃんに振られたら、俺が映画連れてってやる。俺は、おまえの泣き顔が見たい」

 いきなり声をかけられ、泰巳ははっと顔を上げた。
「栃沢さん!」
「よお」
 にやりと笑った男は、およそホストクラブ『ラグナロク』の店内にはふさわしくない客だ。
 イタリア製のスーツの上からでもわかる、隆々とした筋肉。たくましすぎる体格。頬は鋭く削(そ)げていて、目は獲物を狙う鷹のようだ。けれども、いつも余裕ありげな笑みを浮かべているから、一見取っつきやすそうに見える。正統派の二枚目のくせに、三枚目の言動も衒(てら)いなくしてみせる、一癖も二癖もある男だった。
 栃沢拓真(たくま)。彼は広域指定暴力団一心会(いっしんかい)の会頭(かいとう)であり、『ラグナロク』をはじめとして、いくつかの水商売の店を営んでいるオーナーの神川(かみかわ)とも懇意の間柄だった。
 そして、どういうわけか泰巳の上客の一人だった。
「よお、由佳ちゃん。同席させてもらってもいいかい」
 栃沢は、気楽に由佳へと話しかけた。
 由佳は、口唇を尖らせる。
「えー、組長さんずるい。今日は由佳が泰巳を独り占めしてたのにぃ」
「そんなこと言うなよ」
 栃沢は、図々しく由佳の隣に腰掛けた。
 そして、綺麗に巻かれた由佳の長い髪を、くるりと指先に絡めた。
「俺も、由佳ちゃんに奉仕してやるからさ」
「やだー、奉仕って何よ。組長さんが言うと、やーらしぃ」
 由佳は、軽く栃沢をぶつ真似をする。
 常連同士、由佳と栃沢は顔見知りだ。強面(こわもて)の外見のわりには栃沢は気さくな性格なので、こんなふうに軽いやりとりをすることも珍しくない。
 客同士の交流には気を遣う。
 しかし、由佳と栃沢の場合は女同士でないこともあり、常連客同士の本気の鞘当(さやあ)てというわけではないので、泰巳にとっては楽な対戦カードだった。
 背後にボディガードをはべらせて、するような会話ではないと思うが……。
「やだなあ、栃沢さん。俺の由佳ちゃん取らないでくれよ」
 おどけるように客二人の間に割って入ろうとして、泰巳は栃沢の腕に腰を抱きかかえられる。
 そして、そのままぐいっと抱き寄せられてしまった。
「……わっ」
 わざとらしくびっくりしてみせる。一応、多分、わざと。でも、たくましい腕が強引すぎて、身動きを封じられるのは結構怖い。
「何言ってんだよ、泰巳。おまえのものは、俺のもの。俺のものも、俺のものさ」
 にやりと、栃沢は笑った。
「何せ、おまえが俺のものだからな」
 傲岸不遜(ごうがんふそん)に、栃沢は言い放った。
「何言って……っ」
 思わず地が出そうになる。