立ち読みコーナー
目次
282ページ
初恋の傷跡 ~あの日、菩提樹の下で~  7
綿菓子の下で              256
あとがき                272
16ページ~
 中三のある日、家に帰ると、もう悠一は北海道の寄宿学校に進学することに決められていた。
 予定していた近隣の高校への受験話も立ち消えになっていた。
 両親としては、悠一だけでも遠くに逃がそうとしたのだと思う。
 気持ちは察せられたが、まったく相談なしの話で戸惑った。
 悠一と晃希は同じ中学だった。それでも学校の友人たちはみな性格がよく、弟の醜聞で兄を攻撃するようなことはしなかった。だから、高校へも普通に通えると思い込んでいた。
 寄宿学校進学の話に戸惑いはしても、けっきょくは親の決めた高校に行くしかなかった。
 両親もまた、家を売り払い、他所へ逃げる算段をつけていたからだ。
 今現在、両親は神奈川県津久井の山中で、小さなペンションを営んでいるらしい。
 少年院を出たあとの弟も、そこで両親を手伝っているという。
 そのようなことすべてが聞き語りのような形になっているのは、中学卒業以来、両親のところに帰っていないからだ。
『晃希の気持ちがせっかく落ち着いてきたんだから。悠一の顔を見て、また荒れたら困るわ。できるならこっちには顔を出さないで』
 母にそう懇願されてしまった。なので両親が始めたという小さなペンションも、どんなところなのか悠一はまだ一度も見たことがない。
 ふと、先を行く麻里奈の足が止まった。
「ねえ、見て、悠一さん!」
 歩道脇に連なる街路樹を見上げている。
 つられて悠一も見上げる。あたりがパアァッと輝き出した。ライトアップが始まったのだ。
 あちこちから感嘆の声が上がった。人々の頬が虹色に輝いている。みなが足を止めて煌めきを増した光景に見入っている。
「すごい! これ、見たかったの! 有名なんだよ、この通りの、クリスマスイルミネーション!」
 世事に疎い悠一でも、聞いたことくらいあった。悠一は、こういう時言うべき台詞を口にした。
「うん。すごく綺麗だね」
 麻里奈は両手を広げ、尋ねてきた。
「ね? あたし、お姫様みたい?」
 思わず唇の端がほころんだ。無邪気さがかわいらしかった。
「そうだね。お姫様みたいだよ」
 お世辞でもなんでもなく、本当にどこかの国のお姫様のようだった。
 頭上から降り注ぐ光が、ティアラを着けたように彼女の髪を輝かせていた。カールした髪の先まで、光がきらきらと跳ねている。
 幸せにしなきゃな、としみじみ思う。
 麻里奈は自分などにはもったいない女性だ。
 弟の話も……もちろん告白してある。その時も、彼女は顔色ひとつ変えずにうなずいただけだった。
『あたし、気にしないよ? どんな弟がいても、悠一さんは悠一さんだから』
 心強い言葉だった。ずっと言われたかった言葉だと、言われて初めて気がついた。長年弟に振り回されてきたが、ようやく自分にも明るい未来が拓け始めたのだと思った。
 麻里奈は小走りに駆け戻ってくると、するりっと腕を絡めてきた。いたずらっぽく見上げてくる。
「寒くなってきたね?」
「うん」
「お腹空いちゃった。今日はなに食べさせてくれるの?」
「今日は、フレンチだよ」
 おいしいもの好きな麻里奈のために、デートのたびにグルメサイトを見て、悩みながら店を決める。自分一人ならラーメン屋か牛丼屋くらいにしか入らないから、それはそれで毎回新鮮な楽しみだった。
 麻里奈ははしゃいだ声を上げた。
「やったーっ! もちろん予約してあるんでしょ?」
「うん。もちろん入れてあるよ。もうちょっと歩くから、そろそろ店に向かわないとね」

 唐突に、視線を感じた。
 悠一は何気なく歩道の前方に視線をやった。
 むこうから来るのは、若い夫婦と幼い男の子。
 遠目で見ても、服装の高価さがわかる。夫はパリッとした仕立てのスーツにコート、妻のほうは優美なシルエットのロングコートを着ていた。子供も父親同様の小洒落たスーツ姿だ。
 夫はいくつもの紙袋を手にしていた。家族でクリスマスの買い物でもしたのだろう。見るからに、幸せなセレブ一家だった。
 その中の一人が、悠一に突き刺さるような視線を投げかけているのだ。
 反射的に視線を返し——一瞬で凍りついてしまった。
 かろうじてだが、声を上げずに済んだ。

  ——玲児……っ?

 車の音、人々の喧騒、すべての音が耳から消え失せた。
 頭の中で後悔の想いが渦を巻く。
 失敗した。まさか彼に遭遇してしまうとは。
 いったいなんのために、長いあいだ東京に足を踏み入れないようにしてきたんだ。流水玲児に会いたくない、都内に住んでいるはずの彼と、どこかですれ違ったりしたくない、ただその一心だったはずじゃないか。
 なのに、こんな最悪の再会をしてしまうとは。
 よりによって自分は婚約者連れ、玲児のほうは、家族連れだ。
 見られたくなかった。見たくなかった。
 いったいどちらの気持ちが強いのか。自分でも判別できない。
 悠一は動揺していたが、玲児の様子もあきらかにおかしかった。五メートルほど先で足を止めたまま、身動きできない様子だ。