立ち読みコーナー
目次
258ページ
イケメン弁護士のパパはいりませんか?   7
あとがき                 252
48ページ~
「これは、きみのところのオリジナルブレンド?」
「はい。『小暮珈琲』オリジナルブレンドです。モカ5、コロンビア3、ジャワ2の割合なんですけど、なぜか昔からモカとジャワは生豆の段階で量って、コロンビアだけ焙煎後に量るんです。非合理的なんですけど……」
「それが一番美味しい?」
 湯の沸き加減を確かめながら、拓人が小さく頷く。
「自分なりに工夫して、何度か割合を変えてみたりもしましたが、悔しいけどやっぱり祖父のやり方が一番美味しくて」
 拓人はあらかじめドリッパーにセットしておいたフィルターに、挽きたての豆を入れた。カフェのカウンターに座ったような、香ばしい匂いがキッチンに広がる。
「すごくいい香りだ」
「昼に焙煎したばかりだからです。新鮮な豆を選んで、焙煎したてを挽いて、できるだけすぐに淹れる。基本中の基本です」
 焙煎機もミルもドリッパーもポットも、すべて祖父の遺したものをそのまま使っているのだという。
「同じ道具を使っているのに、祖父の味にはまったく及びません。半人前以下です」
「半人前ってことはないだろう」
 拓人は自嘲気味に首を振る。
「だから祖父の頃の常連さんも、少しずつ離れてしまって……」
 ─それでか。
 自信なげな表情の意味がようやくわかった。
「香り高く、酸味はほどほど、ちょっぴり苦くて味はクリアで雑味がない─。香りや味の表現って曖昧なんです。ほどほどってどの程度?ちょっぴりってどのくらい?って。いっそすべてを化学的に数値化できないかと考えて、大学は理学部に進んだんですけど」
 思うような結果が得られないまま、卒業を迎えてしまったという。
「学べば学ぶほどわからなくなりました」
 傍らでようやく湯が沸騰した。拓人はそれをドリップポットに注ぐ。
「それだけ奥深い飲み物ってことなんだろうな」
 拓人は「はい」と目を伏せた。
 コーヒーの味を追究するために理学部に進むという発想は、少々斜め上な気もするが、彼なりに一生懸命考えてのことだったのだろう。長い睫毛がほんの少し揺れていて、早く祖父に追いつきたいというもどかしさが伝わってくるようだ。
 拓人はドリッパーを軽く叩いて粉を平らにすると、上からゆっくりと湯を注いだ。粉全体に湯が回るのを待って、円を描くように湯を足す。その表情に、慶一は息を呑む。
 ─こんな顔もするんだ……。
 自分の横顔を見つめる甘ったるい表情とも、不自然に作ったクールな表情とも違う、今日一番の真剣な顔だった。半人前だと本人は言うが、コーヒーの味にかけては一切の妥協を許さないという意思を感じる、それは紛れもない職人の顔だ。
 一体どれが本当の拓人なのだろう。わからなくなる。
「わあ、もりもりしてきた。お山みたい」
 ドーム状に盛り上がってきた粉に、維月が歓声を上げた。
「このお山が美味しいコーヒーの証拠なんだよ。─さ、できた」
 用意したマグカップに、拓人がコーヒーを注ぐ。
「お待たせしました。『小暮珈琲』オリジナルブレンドコーヒーです。どうぞ」
「……いただきます」
 差し出されたコーヒーを口に含んだ瞬間、慶一は思わず目を見開いた。
「うん。とても美味しい」
「ありがとうございます」
 感情の籠もらない返事に慶一は慌てる。言葉が足りなかったようだ。
「お世辞じゃない。こんな美味しいコーヒー、飲んだことがない。びっくりしたよ。今まで飲んだコーヒーの中でダントツに美味しい」
「そんな……」
 拓人は淡々と首を振る。まだ信じていないらしい。
「味について語るほどツウじゃないが、学生時代には行きつけのカフェも何軒かあったし、家では自分で淹れていた。でも最近は朝から夜までバタバタで、ちゃんとコーヒーを淹れる時間がなくて、恥ずかしながらインスタントで間に合わせている」
 会社で出されるのは、最初からマシンに粉をセットしておくアレだ。
「打ち合わせで使っている会社近くのカフェのコーヒーは、濃くて苦くて砂糖とミルクを入れないと飲めたもんじゃない」
 話しながら、コーヒー難民のような生活をしていたことに、あらためて気づいた。
「だから本当に、久しぶりに本物のコーヒーを飲んだ気分だ」
「ありがとう……ございます」
 ようやく感動が伝わったらしく、拓人はほんの少し口元を綻ばせたが、予想通りすぐにその淡い喜びをクールなマスクで隠してしまった。
「いっくんも!いっくんも、拓人くんのコーシーのみたい!」
 維月が椅子から飛び降り、食器棚から自分用のマグカップを取り出してきた。
「維月、コーヒーは苦いんだ。子供は飲めない」
「にがくないもん!拓人くんのコーシーはおいしいもん!」
 維月が地団駄を踏む。
「あのな、維月、コーヒーにはカフェインっていう、大人は飲めるけど子供は飲めないものが入っていてだな」
「やだやだ、パパだけずるいぃ。いっくんもコーシーのみたいぃぃ」
 ─参ったな。
 基本的に聞き分けのいい子だとはいえ、まだ四歳だ。大人の理屈がいつでも通じるわけではない。どうしたものかと思案していると、拓人が思いがけない助け舟を出してくれた。
「維月くんの分もちゃんと持ってきたよ」
「ほんと?いっくんのコーシー?」
「コーヒーじゃないけど」
 そう言いながら拓人は、豆を入れてきた袋の底から茶色い缶を取り出した。
「維月くんにはこれを作ってあげる。ココア」
 こんな状況になることを予想して、ココアを用意してきてくれたらしい。
「ココア……コーシーじゃなくて?」
 若干不満げな維月に、拓人が魔法の言葉を囁く。
「維月くんだけに、特別に、甘くて美味し〜いココア、作ってあげる」
「いっくんだけに……とくべつ……」
 維月はぱあっと破顔し「とくべつ!とくべつ!」と飛び跳ねた。赤子の手を捻るとはよく言ったものだ。はしゃぎ回る維月を、拓人は穏やかな優しい瞳で見つめていた。
 ─本当にいろんな顔をするんだな。
 不自然なクールな顔、こっそりと自分を見つめるほんわり顔、コーヒーをドリップする職人の顔、そして維月を見つめる兄のような優しい顔。
 ─一体全体どれが本当の拓人なのだろう。