立ち読みコーナー
目次
226ページ
にゃん虎パニック ~恋スル呪イ~  7
あとがき              218
104ページ~
 帰宅する海翔が玄関を出てから、五分弱。これくらいの時間に、門の戸締りをするため玄関を出てくることを知っている。
 内側から門扉に施錠し、家の玄関前まで戻ってきたところでサンダル履きの足元に身を寄せた。
「みゃあ……」
「来たか、トラ猫。腹は減っていないか?」
「にゃぁん」
〈満腹だ〉
 なんといっても、駿一郎と同じメニュー……料理上手な老婦人の特製餃子を、たらふく食べているのだから。
 言葉の意味まではわからなかったはずだが、空腹ではないということは伝わったらしい。
 背中を屈めてトラ猫を抱き上げた駿一郎は、そのまま玄関を入る。
「おまえは飲めないだろうが、晩酌につき合ってくれ。無塩のカニカマを買ってある」
「にゃぁん」
〈気を遣わなくていいのに〉
 居間にいる祖母にお休みの挨拶をした駿一郎は、トラ猫の海翔を抱いたまま自室に入り、畳に下ろす。
 一度部屋を出ると、晩酌セットの並ぶ丸盆を手にして戻ってきた。海翔……トラ猫のために用意したというカニカマも、きちんと皿に載せられている。
 下戸の祖母と未成年の海翔に気を遣ってか、夕食の席ではアルコールを口にしない駿一郎の晩酌につき合うのは、ここしばらく恒例となっている。
 わざわざトラ猫と接触して猫に変わり、駿一郎と夜の一時を過ごすのは、トラ猫の訪れを待っていてくれているらしい駿一郎だけでなく、海翔にとっても楽しい時間だ。
 駿一郎は無言でお猪口を口に運び……徳利が二本目に入る頃になって、ようやく口を開くのだ。
「ローズガーデンだとか、トピアリーだったか……外国のものは、そもそも専門外なんだ。まぁ……機会を与えられれば、どん欲に学ぶべきだとは思うが」
「にゃー……」
〈難しそう〉
 駿一郎は、この家の庭を造った彼の祖父と同じく、日本庭園を専門とした造園業者だと聞いている。
 それなのに、現在師事している職人は和洋の垣根なく仕事を受けるらしく、四苦八苦しているようだ。
「無様な泣き言を聞かせてすまん。こんなの、みっともなくておまえくらいにしか愚痴れないな」
 愚痴聞き代だとばかりにカニカマを差し出されて、素直に齧りついた。猫の味覚は人の時とは異なるのか、無塩のカニカマでも味気ないなどと感じない。
「にゃう……みゃ」
〈みっともないとは思わないけど〉
 海翔から見れば、堂々とした立派な大人で……どんなことでも難なくこなしていそうな駿一郎でも、こんなふうに思い悩むことがあるのだと知って親近感が湧く。
 それに、弱音を零す姿は自分しか知らないと思えば、彼の特別なのかと不思議な喜びが込み上げてくる。
「おまえ、ここに来ない日はどうしているんだ?飼い猫じゃなければ、他に餌をもらう家があるのか……」
 指先で耳の後ろを撫でられて、目を細めた。
 無骨に見える大きな手だが、力加減が絶妙なのだ。庭木の剪定には意外と細かな作業が多いらしいけれど、それも納得できる。
「朝までいたこともないし……猫は自由気ままだな」
「ニャ!にゃおおん」
〈朝までいられねーの。……猫にもいろいろあるんだよ〉
 朝になれば、トラ猫が全裸の海翔に取って代わるのだ。そんな姿、間違っても駿一郎に見せられない。
 うっかりここで寝入らないよう、多大な努力をしていることなど、駿一郎が知るはずもない。
 抗議の声を上げた海翔に、駿一郎はわずかな苦笑を滲ませる。
「猫にも苦労はあるってか?悪かった」
 ポンポンと背中に手を置かれて、顔を上げる。目が合った駿一郎は、もう一度「すまん」と言いながらトラ猫の海翔の頭を撫でた。
「にゃあ」
〈通じてんじゃん〉
 偶然だと思うが、猫の言葉がわかっているみたいだ。
 海翔も、できればずっと駿一郎の傍にいたい。人間の海翔には話してくれないことを、もっともっと聞きたい。
 でも、駿一郎が眠りにつく頃にはこの部屋を出て、リキの小屋へと身を隠さなければならないのだ。
 いつまでこんなことができるのか、わからない。なにがきっかけで、海翔が猫に変化できなくなるのかも未知数だ。
 こんな異常事態からは早く脱却できたほうがいいはずなのに、駿一郎との時間が心地よくて、ずっとこのままでもいいかもしれないとも思ってしまう。
「前から思っていたが……おまえの目は、海翔の目に似ているな」
 ふいにかけられたそんな言葉に、海翔はピクリと耳を震わせた。
 猫の目と似ているなどと言われたことは、今まで一度もない。だから、なおのこと驚いた。
 恐る恐る駿一郎を見上げると、やけに優しい表情でこちらを見ていて心臓がトクトクと脈動を速める。
「物怖じしないっていうか……真っ直ぐだ。可愛いとか、……ヤバいかな」
 最後の一言は、ポンとトラ猫海翔の頭の上に手を置いてつぶやき、顔を背けた。