立ち読みコーナー
目次
274ページ
花は獅子に護られる     7
夜話            253
あとがき          269
 メトゥにとって、センゲルはただ一人の特別な人だ。
 その人のためになら命を捧げてもいいと思えるほどの……!
「センゲル……」
「メトゥ、俺にとってお前は、特別な人間なのだ」
 しかし、メトゥがその想いを口にするより早く、センゲルがそう言った。
「俺はお前を手にかけることなどできない。それが、二度と国に戻れないということを、神託をないがしろにすることだとわかっていても……俺はお前を殺すよりも、この先の日々を、お前とともに生きたいのだ……!」
メトゥの視界が、突然涙で曇った。
「私も……私も、あなたと生きたい……!」
 心の底からの本音が口から零れ出る。
 センゲルのためになら死ねる、だがそれよりも、センゲルとともに生きたい、そのほうが何百倍もいいに決まっている。
 だが、そんなことが許されるのだろうか……?
「でも、私の罪は」
「お前に罪などない」
 センゲルはきっぱりと言った。
「お前の祖父の罪はお前の罪ではない。それなのに、家族を失ったお前は、ずっと辛い日々を生きてきた。その上、俺のために命まで投げ出させることなど、俺が許さない」
 センゲルの手が再び上がり、今度は頸ではなく、メトゥの頬をそっと包んだ。
「……お前は美しい」
 砂と涙で汚れ、顔の造作もわからないほどになっているのだろうに、センゲルは本心からそう言ってくれているのだとわかる。
「そしてお前の美しさは、邪悪なものなど何ひとつない、自分を無にするお前の澄んだ心が、より引き立たせているのだと俺には思える」
 センゲルの声が優しくやわらかくなり、メトゥの胸に痛みに似た温かさで沁み込んでいく。
  ずっと、自分の美しさが嫌いだった。
 恨めしかった。
 男たちの欲望をかき立てる自分の顔が、嫌いだった。
 だが今センゲルが、自分の心と顔立ちをひとつの美しさとして好ましいと思ってくれるのなら、センゲルのために、本当に美しくありたいと思う。
「メトゥ、俺のものになれ」
 センゲルの瞳がメトゥの瞳を捕らえ、そしてその声がメトゥの心を鷲掴みにする。
 そうだ、それこそがメトゥが望んでいることだ。
 センゲルのものに、センゲルだけのものに、なりたい。
「……はい」
 メトゥが答えると、センゲルが切なく微笑む。
「俺も、お前のものになる……それでいいのだな」
 頷くことすら必要なく、センゲルはメトゥの目の中に、答えを見つけてくれる。
 ゆっくりとセンゲルの貌が近づき、メトゥは瞼を伏せた。
 唇に、唇が重なった。
 じゃり、とかすかな砂の感触がある、乾ききった唇。
 それでも、センゲルの感触、センゲルの温度が、メトゥの体温を引き上げる。
 嬉しい。
 だがその嬉しさの中に、一抹の苦さがある。
 これでセンゲルは二度と故郷には戻れないのだ……!
 センゲルの中にも同じ苦さがあるはずだと確信しながらも、メトゥはセンゲルの口づけをもっと深く求めるように、センゲルの肩にしがみつくように腕を回した。