立ち読みコーナー
目次
274ページ
アフェア ~人でなしの恋~     7
あとがき              270
22ページ~
「絢斗」と松本が呼ぶと、すぐに気づいてこちらにやって来る。近づくと胸の底に溜まるような品のある甘い香りがふわりと漂った。
 キートンのネイビーのスーツにピンクのシャツとネクタイがよく似合う。長めの前髪はブルネットではっきりした目鼻立ちの浅黒い肌と相まって、まるでラテン系の男のように見える。スーツの上からもわかる厚みのある逞しい体格なのもその一因だろう。身だしなみにかなり気を遣っているのがよくわかる。
(あ……、ヤバイ)
 友哉は本能で感じ取る。これは、まずい相手だ。深く関わってはいけない相手だ。
 しかし、その自らの警告とは裏腹に、目の前の男から視線を逸らすことができない。
「どうした、慎吾」
「今お前のこと話してたんだよ。若くして営業課長だって」
 ああ、と男は笑った。
 その笑顔がまたひどく魅力的だ。少し近寄りがたい美貌が、急に子どものように無邪気になる。そして整った白い歯並びが美しい。
「初めまして、斎藤絢斗です」
 これはどうも、と再び名刺のやり取りをする。左手の薬指に指輪が光るのを見て取り、あちらも既婚者とわかる。この場にいる四人の中で独身は松本だけだった。
 名刺の肩書は本当に営業課長だ。日本語と英語の表記。それにしても、華やかな名前が本人によく似合う。普通の男ならこの字面に負けてしまうだろう。それが、絢斗はまさしく『絢斗』として生まれたのだと思える。外見だけでなく、名前も実績も派手な男だと感じた。
 ぼんやりとしてしまっている友哉の代わりに、間宮が愛想よく言葉を交わす。
「でも、本当にすごいですよね、課長だなんて。びっくりしました」
「うちは成果主義なんですよ。業績を上げれば入社何年目だろうが何歳だろうが評価は上がるんです。それだけ人の入れ替わりも多いんですけどね。年功序列で役立たずの年寄り幹部なんて一人もいません」
「すごい。さすが外資系って感じです」
「いや、さすがに外資系でもこいつはちょっと違いますよ」
 松本は軽く同僚の肩を小突く。
「そもそも、絢斗……斎藤は帰国子女なんです。あっちで生まれて中学と高校だけ日本で、大学でまたアメリカに戻って。だからこいつほとんどアメリカ人なんです。そのつもりで話した方がいいですよ。僕も時々驚かされることあるから」
「あ、やっぱり、お父様かお母様がアメリカの方なんですか」
 間宮は不躾なほど絢斗を観察している。絢斗は見られることには慣れているのか平然と微笑む。
「いや、俺は純日本人です。顔が濃いからよく間違われるけど」
「へえ。すごいイケメンだからそうなのかなって勝手に思ってました」
 間宮は屈託のない顔で笑っているが、これは内心面白く思っていない方の表情だと友哉にはわかる。
 けれどそれよりも、友哉は絢斗の表情に、声に酔い痴れている。外見だけでなく声も低くなめらかで魅力的だ。同じ人間なのかと疑いたくなるほど完璧にすべてが整っていて、別の生き物のように思えるほどである。
「ええと、友哉さん」
「はい?」
 突然名前で呼ばれて声が裏返る。それをどう取ったか、絢斗は僅かに焦った顔をする。
「あ、すみません。うち、社内だと基本的にファーストネームで呼び合うんですよ。大丈夫ですか」
「あ、はい、それは全然」
「僕は普段から名前呼びなんですけどね、こっちは頑なに名字呼びなんです。嫌われてんのかも」
 間宮がおどけて友哉をからかう。如才ない受け答えが売りだというのに、今回ばかりは上手い言葉が出てこない。
「そんなわけないだろ。最初名字で呼ぶと、変えるのが難しいんだよ」
「じゃあ、俺のことは最初から絢斗でお願いします。それならいいですよね」
 にっこりと微笑まれて友哉の頭は真っ白になった。こちらも笑ってはいと答えているのを、まるで幽体離脱でもしたかのように頭の上から眺めている気分だ。
(どうしてこんなことになった。なんでこんな男がここにいるんだ)