立ち読みコーナー
目次
226ページ
金貸し紳士に天使のキスを     7
金貸し紳士に天使の愛を      187
あとがき             221 
74ページ~
 桐生はグラスを傾け、手にした酒を飲み、「おいしいです」と言うと、あらためて碧を見つめてくる。その視線が、なんだか恥ずかしい。
「あの、……ええと」
「よく頑張っていらっしゃる」
 予想もしていなかった言葉に驚いている碧に、桐生はなおも言う。
「大変な仕事なのに弱音も吐かずに、きちんと勤めているとマダムに聞きました。こちらに入店してから、売り上げがずっとトップだそうですね」
 優しい言葉に、涙ぐみそうになる。彼は碧がこの仕事に就くのを、否定していたのに。
「い、いえ。ぼくなんて、まだまだです」
「あなたのような方に、水商売は合わないだろうと思い込んでいましたが、誤算でした。先日は辞めるべきだと差し出がましいことを言って、申しわけありません」
「いいえ。ありがたかったです」
「え?」
「だって桐生さんは、ぼくのことを心配してくれたから、お店を辞めてほしかったんでしょう?このお店は義母が探してきたんですけど、やっぱり夜の仕事だし、朝から夕方まで働いて、次は水商売かと気落ちしていたんですが、桐生さんのお言葉で頑張ろうと思いました」
 そこまで言うと、碧の肩に桐生の大きな手が置かれた。顔を上げると、慈愛に満ちた優しい眼差しで見つめられている。
「感服いたしました。碧さんは、どこまでも高潔で凜々しく、そして優しい」
「ぼくは別に、優しくなんか」
「お母様の形見だけでなく、あの継母のバッグも取り戻そうとされるのは、あなたが優しいからです。泣き喚く彼女を、見捨てられなかったのでしょう?」
「もしかして、ここの仕事を反対していた理由って」
「……それはそうと、先ほど大澤会長と親しそうでしたね」
 とつぜんの話題転換に碧は首を傾げた。
「親しいなんて、恐れ多いです。とっても大きな会社の会長さんだって伺って、緊張していますから。あ、でも、今日はお父さんって、お呼びしちゃいました。変ですよね」
「─なぜ大澤会長が、お父さんなのですか」
 桐生の声がワントーン低くなったが碧は気づかず、嬉しそうに話を続ける。
「ぼくは父と仲がよくありません。だから大澤様が本当のお父さんだったらいいなって言ってみたら、これからは私をお父さんと呼びなさいと言ってくださいました」
 そう言うと、桐生は呆れたような表情を浮かべている。
「あの方は経営の世界では、鬼とも悪魔とも呼ばれています。その所以は、経営手腕が非常に冷静で、容赦がないからです。その会長にそこまで言わせるとは」
「偉い方なんですね。しかめっ面ばかりなら、ここにいる時は楽しんでほしいです」
「……参りました」
「え?」
「天使のようだと思いましたが、あなたは聖母です。優しくて、そして大らかで。その心の広さは、どこから来るのでしょう。それとも、相手が大澤会長だからですか」
 真剣な声に、ドキッとする。どうしてこんな眼差しで見つめられるのか。
「だって、大澤様はお客様ですから」
「あなたは客ならば、誰にでも手を握らせるのですか」
 答えに窮し黙り込んでしまうと、彼は「すみません」と言った。
「私は大澤会長に、嫉妬しているみたいです」
「嫉妬って、どうしてですか」
「あなたの信頼を易々と手に入れた会長を、子供みたいに妬みました。嫉妬を掻き立てられたと言ったほうが、正しいかもしれません」
「ぼくの信頼?そんなの、たいしたものじゃ」
「碧さんにとって私は、信頼に値する人間でしょうか」
「え?」
「サラ金の回収を仕事とする、卑しい人間だと思われていないか心配です。あなたは初めて会った時から私を警戒し、そして怯えていた」
「桐生さんが怖いのではなく、消費者金融の方が回収に来ることが怖かっただけです」
 そこまで言い募った碧に、桐生は手を差しのべてくる。
「今夜は自分も客です。取り立て屋でなければ、あなたは手を握ってくれますか」