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雪の褥に赤い椿 ……7
あとがき ……256
「……ぼくのこと、好き?」
矢神の背にほおをあてたまま、独りごとのように呟く。なにを尋ねているか深く考えもせず、ただ何となく。
「えっ?」
しかし訊きかえされ、つられたように言い直す。
「ぼくのこと、弟として……ううん、何でもない」
好き――? という言葉をすんでのところで呑みこんだ朝加に、しかし矢神は意味を悟ったのか、ゆっくりとよく通る声で答えた。
「好きだ」
頭上で静かに響いたその声。独りごとのようなかすかな呟きに、胸が高鳴る。
「本当に?」
「朝加が好きだよ」
弟として――という言葉があとに続くことを知りながらも、その声の余韻をあまさず鼓膜に焼きつけようと、朝加は何度も何度も耳の奧に響かせた。すると。
「……おまえは?」
自転車を止め、矢神が首をめぐらす。それを上目づかいで見あげ、ついと顔をそむける。
「嫌いだよ」
「何で?」
矢神が朝加のほおを軽くひねる。
「……性格悪いし、バカだから」
投げやりに言うと、矢神はわざとらしいほど大きく眉をあげ、そのまま朝加のほおをひっぱった。
「この野郎、本当のことを言うな。どうせ俺はダラや」
ダラとは、このあたりの言葉でバカという意味をさす。
肩をすくめて笑ってみせ、矢神はふたたび背をむけて自転車をこぎはじめた。
――好きだよ。
そう言った矢神の声が耳の奧で響き、その優しい想いに胸が甘く疼きそうになる。
かわいい。愛しい。冬の海で命を救ってくれたときから、矢神はうれしい言葉をおしげもなく与えてくれている。その喜び。その幸せ。
「晃ちゃん……」
朝加は矢神の背をぎゅっと強く抱きしめた。
幸せだった。死んでしまった弟の身代わりでも。これが自分の幸せ。
その背に顔をすりよせ、心の中で伝えることのない想いを告げる。
嘘ついてごめん。ほんまは晃ちゃんが大好き。