立ち読みコーナー
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今夜、会いたくて  ……7
あとがき      ……239
 外へ出たい――。自由になりたい。父から、敷かれたレールから、解き放たれたい。
 諦めていた自由への渇望が、日に日に膨れ上がっているのは、きっと記憶を失った不安感と無縁ではないだろう。失くした記憶を取り戻したいと、切実に願っている。大切なものがあったはずなのだ。
 外へ出られたら、きっと記憶が戻る。それは予感でもあり、希望でもあった。記憶が戻れば、早く行かなくてはという、あの理由がわからない焦燥感の正体がわかるに違いない。
「ここから出たくないか?」
「………出たい、です……」
「じゃあ、俺と――」
「あなたが誘拐犯じゃないっていう証拠はありますか?」
 おや、という感じに、男は片方の眉を上げた。「うーん……」と胸の前で腕を組み、いささかわざとらしい格好で悩むポーズをする。真夜中に不法侵入したわりには、深刻さが感じられない男だ。
「証拠か……。難しいな」
「そもそも、あなたは誰ですか。身分証明になるものはないんですか?」
 ダメ元で聞いてみたら、男は両手で体中をポンポンと叩き、残念そうに首を横に振った。いちいち芝居じみている。こんな深刻な場面なのに、ユーモアたっぷりだ。ふざけているのかという怒りは湧かなかった。きっとこの男に、そうさせない、不思議な空気があるからだ。
「俺についてくるなら、ここを出たところで名前を教えるよ。というか、君は俺を知っているはずなんだけどね」
「あ、えっ…………」
 知り合いかもという可能性をまったく考えていなかった。真夜中に窓から知人が遊びに来るなんて、想像もしていなかったから。
「あの、僕たちは、面識があったんですか?」
「そうだよ」
 十歳以上は年が離れていそうな、こんな不思議なタイプの友達がいたなんて驚きだ。どこで知り合ったのだろうか。
「………すみません、僕はいま一年分の記憶を失くしています。あなたがだれなのか、いまの僕にはわかりません……。ごめんなさい」
「うん、大丈夫だよ。知ってるから」
 男は昌紀に忘れ去られているというのに不愉快な顔はせず、優しい目で微笑んだ。見るものに安心感を与える、包みこむようなまなざしに、影は一切ない。後ろ暗いところがまったくないように見えた。
「君はここにいたいの? もし現状で満足しているなら、無理に誘わない。でも、ほんのちょっとでも、ここから出ていきたいと思っているなら、家出してみないか?」
「家出……」
「そんなに重く考えることはないと思うんだよね。そのうち戻ってくるつもりで、ささやかな反抗っていうのかな、思春期にありがちの……なんていうのか、ああ、そうそう、プチ家出を経験してみるのもいいんじゃない?」
「僕、もう二十歳なんですけど」
 思春期の反抗で括ってしまうには無理があるように思う。
「ああ、そうだった。じゃあ言い方を変えよう。成人の儀式として試練を経験してみるのもいいよね」
 にこにこっと笑われて、あまりの軽い口調に、昌紀もついつられたようにして笑ってしまった。笑った自分にびっくりする。もう気を許している証拠だ。
 ついていきたい、ここを出ていきたいという思いが強くなってくる。この人は絶対に悪い人じゃない。昌紀を危険な目にあわすことはないだろう。知り合いだというのも本当のような気がした。話しているうちに、なんだか親しみを感じてきていた。
「どうする? 俺についてくる?」
 男は両手を広げて昌紀に答えを求めてきた。
 行くか、行かないか。二者択一だ。悩んでいる暇はない。
「……行きます」
 昌紀は頷いた。つぎの瞬間、がばっと男に抱きしめられて目を丸くする。広い胸とたくましい腕に包まれて、ふっと懐かしい匂いに意識を奪われた。
 知っている――。自分は、この感覚がはじめてではない。