立ち読みコーナー
目次
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世話してやるから言うこときいて!  ……7
あとがき              ……217
「うちの書斎よりも小さいが……落ち着くにはいい部屋だ。ところでタタミは……」
 ユージンは途中で口をつぐみ、物凄い勢いで、目についた場所に飛んだ。
 彼が飛び込んだのは、四畳半の畳スペースだ。
「俺の夢の一つが今叶った! 俺は日本で、日本のタタミの上でこうして転がるのが夢だったんだ! いい香りがするじゃないか!」
 入ってすぐの部屋には、キングサイズの大きなベッドに、ちょっとした書き物ができるデスクと、深く腰かけてテレビを見られるソファがある。
 部屋で食事ができるよう、窓際にはテーブルセットが置かれている。ユージンは小さいと言うが、完璧なレイアウトで狭さを感じさせない。
 その奥には四畳半の畳スペースが特別に設けられていて、ホテル結でもっとも人気だ。
 一般の畳敷きとは違って直に床に敷かれず、冬場は掘りごたつが楽しめるよう高さがある。宿泊客たちは床から一段上がり、畳を堪能できた。
「和室のタタミとは少々違うのだな。……だがまあ、和室は和室で楽しめばいい」
 ユージンは畳の上にあぐらをかき、和紙で作られた丸いシャンデリアを見上げる。
「荷物はクローゼットの横に置いた。洗濯物はランドリーボックスに入れてくれ。クリーニングする物は、俺に言ってくれればいい。それと……」
「それはいい。とにかくシュウ……こっちに来い」
「どうした?」
 素直に畳に上がり腰を下ろすと、またしてもいきなり抱き締められた。
「……っ!」
「ここは俺が想像していた以上に素晴らしい隠れ家だ。俺の日本への愛をわかっていて、この部屋に決めてくれたんだな? 愛してる!」
 待って、その愛……ちょっと待ってっ!
 柊司は心の中でありったけ叫んだ。
 外国人のスキンシップには慣れていると思ったが、これは何かが違う。
「初めてハグしたときにも思ったが……君は、そう、なんて抱き締め甲斐のある体だ! 俺の、今回の旅行の最終目標は、日本人の彼女を作ることだ……っ! 俺の彼女にならないか? 毎日が楽しいぞ!」
「俺は男だぞっ!」
「俺は気にしないっ!」
「俺が相手じゃ『彼女』にはなんないだろっ!」
 非常事態だからいっそ殴って引き離そうかと、柊司がそう思ったときに、ドアチャイムが鳴った。
 するとユージンは柊司からすんなり離れ、彼の頬をヨシヨシと撫でてから軽やかにドアに向かう。
 ユージンがドアを開けたのだろう、尚子の「軽食をお持ちしました」という可愛い声が聞こえた。柊司は畳の上であぐらをかいたまま、呆然とする。
「あら柊司君、何をやっているの?」
 尚子は微笑みながら、ソファ横のサイドテーブルにトレイを置いた。
 ハムとキュウリのサンドウィッチに、桃のタルト、ライチのフレーバーティー。
 空調の効いた涼しい部屋で飲む温かな茶は、意外と客の受けがいい。
「小さなサイズの可愛いケーキは、見るからに日本だ。甘さ控えめの、素材を楽しむケーキだろう? そしてこのお茶は? オリエンタルで不思議な……いい香りがする……!」
「当ホテルのウェルカムドリンクになります。最初は砂糖を入れず、そのままで召し上がって、香りを楽しんでくださいね」
「ほほう……」
 ユージンの興味は今、義姉が用意した軽食と飲み物に注がれている。
 それは大変ありがたいことなのだが、柊司はちょっとばかり理不尽な怒りがわいた。
 ……俺を抱き締めておいて好き勝手言いながら、もう興味は別に移ったのかよ! いや、興味が移ってもらわないと困るんだが……切り替えが早くないかっ! おい!
 恋愛は人それぞれで、それに口を出すつもりはない。現に柊司も過去に一度、男と付き合ったことがある。高校三年生のときだ。
 相手は交換留学生で、その頃から語学が堪能な柊司が、彼をサポートしていた。
 留学生が帰国したあとも交際は続いたが、結局は自然消滅した。今となってはそれはそれでよかったと、柊司は思っている。
 なにせ、したのはハグだけだ。清い交際すぎて笑ってしまう。
 ああいうのは、「若気の至り」というものなのだ。
 今は、ひょんなことで思い出しては苦い気持ちになるが、あと十年も経てば「そんなこともあったな」と笑えるようになるだろう。
 柊司は、嬉しそうに茶を飲み、菓子に舌鼓を打つユージンを見つめ、「余計な事を思い出させやがって。このバカ殿め……!」と、心の中で悪態をついた。