立ち読みコーナー
目次
256ページ
青に沈む庭
あとがき

***

「逃げ出したい衝動に駆られるぐらい恋しいから、傍にいたい――」
そんなふうな義兄弟の2人のお話です。

朝丘戻。
「若いのに十分なんて言うもんじゃないよ」
 子どもみたいに突っかかる俺を大人っぽく冷静に宥め、押さえつける逸人さん。彼は始終俺を持て余して、俺は常に彼しかいらない。この相反する思いが、やりきれなくてつらい。
「逸人さんは俺に彼女が必要だと思うんですか。?恋愛すれば大人になれるから?って?」
「勘ぐりすぎだよ。……どうしたの一。ようすがへんだね。今日はもう帰って休んだら?」
 そして二言目には?帰れ??来るな??離れろ?だ。
 胸が痛んで、自分が傷ついたんだと自覚した瞬間ふと脳裏を過ぎったのは、高校一年の夏に逸人さんと見た実家の庭の朝顔だった。俺たちの頭上で入道雲の白をくっきり鮮明にさせていた、真っ青な空にも負けない、美しい青の花。
 暗い記憶に染まっていた朝顔を好きになれたあの日以来、一緒に撮影散歩に行こう、と誘ってくれたのは、いつも逸人さんだった。
 彼が休みの土日祝日のほとんどをふたりで潰し続けていたから、俺の方が、逸人さんは姉貴とデートしなくていいの、と危惧したほどだったが、彼は、一との時間も大事だから、とにっこり微笑んでくれた。
 ほろほろ綻んで輝く太陽のような笑顔。あれは逸人さんとうりふたつの別人だったんだと教えられた方がすんなり得心いくぐらい、今となっては幻じみた遠い笑顔だ。
「逸人さんは、その……もう、写真は撮らないんですか」
 問いかけると、細めた目ですっと見つめ返された。無表情の黒い瞳に気圧されて身体の真ん中から拉げそうになったから、懸命にしっかりと腹から声を出した。
「逸人さんがくれたあのカメラ、俺、今も、持ってますよ」
「もっと性能のいいデジタル一眼レフが出てる。そろそろ買いかえなさい。フィルムなんて時代遅れでしょ」
「お、俺はフィルムの方が好きですっ。発色も画も、味がある」
「そんなこと言ってたら、夢も叶わないんじゃない? 趣味と仕事は違うんだから」
 仕事とか性能とかじゃない。そんな正論はいらない。常識の話がしたいんじゃない。
「違うんです。……そういうんじゃ、ないです」
「一?」
「手放さないです。宝物だから」
 逸人さんが触れて丹念に手入れしていた、あの夏の記憶が凝縮された、家族でいた頃の証拠の、宝物だ。正しすぎる言葉だけでは説明の及ばない、俺たちの心をとおして眺めた時だけきらきら輝く無二のもので、逸人さんもそう思ってくれていると信じていた。
「宝物って……よしなさいよ一、あんな古くさいカメラを」
 眉を下げて目尻にわずかなシワを刻む、困り顔の苦笑い。今の逸人さんは、くちを開けば、さよなら、とこぼれてきそうな、こんな笑みしか浮かべない。
 彼を見返す俺の視線は、睨みつけるような泣きそうな、へんな歪み方をしてる気がした。
 かたい拒絶の壁が常にある。そしてそれを、逸人さんは故意に張り巡らせている。
 姉貴と決別した日から四年間、ずっと。