立ち読みコーナー
目次
280ページ
「私に用でもあるのか?」
 仕事の手を止めたフランツが、千尋に怪訝そうな顔を向ける。
「いいえ。その……お休みなさい」
 千尋は我に返り、慌てて部屋を出ていこうとした。自分のしていたことが、急に恥ずかしくなってしまった。
「待ちなさい」
 けれどフランツに呼び止められ、千尋は扉の前で立ち止まる。振り向くと、フランツはゆっくりとした足取りで千尋に近づいてきた。
「フランツ…?」
 窺うように見上げた千尋を、フランツが抱き締める。
「…ん……っ」
 唐突に唇を塞がれ、千尋は反射的に身を退こうとした。けれど、しっかりと抱きしめられているので、逃げることはできない。
 自分は、フランツに接吻されている…?
 急激に跳ね上がる鼓動を、千尋は抑えることができなかった。
 フランツは千尋の頭の後ろに手を添え、唇を強く押しつけてくる。息苦しさに開いた唇の隙間から、熱い舌が滑り込んできた。
 思わず奥に逃げ込む舌に、フランツの舌が絡みついてくる。強引に引き出された舌を吸われて、千尋は肩を震わせた。
 固く瞳を閉じ、千尋は身動いだ。だけど、フランツの腕の中から逃れることはできない。
 どうして、自分が接吻されているのかがわからない。
 千尋は混乱する頭の中で、その理由を探る糸口を探そうとした。
 どこかに考えるきっかけがあるはずだ。
 きっと、何か理由がある。
 解放されたと思った途端に、再び絡みついてくる舌。緩急を変えて吸い上げられ、躰がじわじわと熱くなってくる。
 逃れようとしても、頭の後ろを押さえられているので動くことができない。舌を吸われるたびに、躰から力が抜け落ちていくような気がする。
 ぼんやりと霞んでいく意識を、千尋は必死で繋ぎ止めていた。

▽電子書籍版はこちら