立ち読みコーナー
目次
256ページ
いつでも君の傍にいる──── 7
なぜならきみのものだから──193
あとがき──────────254



「離してください。一体どういうつもりなんですか!」
 無理矢理押し込まれたタクシーの中で、掴まれた腕を振り払うと、智はようやく抗議の声を上げた。運転手が聞いている手前、低く抑えた声で話さなくてはならないのが腹立たしい。
「どういうつもりって?」
「約束だなんて嘘ついてまで、コーヒー豆拾ってもらわなくて結構です」
 富樫は智のその言葉に、瞳孔が収縮するほど大きく瞳を開き「バカ!」と一喝した。運転手がルームミラーで、ちらりとこちらを見た。
「豆拾うために、わざわざ上司の愛人を連れ出したりするかボケ! 俺はハトじゃねえっつーの」
 愛人という言葉に、運転手が今度は顔半分振り向いた。
「愛人って、そういう言い方は」
「じゃ、どう言えばいいんだ」
「それは……」
「神聖なる職場で、しかも真っ昼間に。いや、夜ならいいとかそういう問題じゃないけどな。脳貧血起こすほどのことをされて、それで翌日また呼び出されてホイホイと会いに行くってさ、お前はっきり言ってバカ?」
「ど、どうしてそのことを」
 階段で貧血を起こした原因を、どうして富樫は知っているのだろうと思いあぐね、導き出された答えに智は息を呑む。
「富樫先生、見たんですね、僕の身体」
 尋ねる傍から、みるみる頬が赤らむのを感じる。そんな智とは正反対に、富樫は「当然だろ」と事もなげに言った。
「突然あんなふうに真っ白い顔して倒れたんだ。隠れた場所に出血がある可能性を疑ってみるのが、有能な救命医というものだ。つーか、それ以前に医者としての基本?」
「だからって」
「大丈夫だ。とりあえず人払いをしてから脱がせた」
「……」
「出血はなかったがな、周辺が糜爛して随分酷いことになってたぞ。しかも中から結構な量の精液がどろっと」
「――っ!」
 横っ面を引っ叩いてやろうと振り上げた手を、いとも簡単に捉えられてしまう。
「おっと、暴力反対」
「離、せっ、くそっ」
「ホント、短気だな、お前」
「運転手さん、ここで止めてください。ひとり降ります」
 後部座席の会話に、耳をダンボにして聞き入っていた運転手は、少し残念そうに「はい」と答え、繁華街のど真ん中の交差点の手前でブレーキを踏んだ。
 ドアが開くや、智は富樫に千円札を押しつけて車を飛び降りた。「待てよ」という声に驚いて振り返ると、タクシーから片足を出している富樫が見えた。智は舌打ちをし、いらいらと早足で歩いた。その後ろを、長いコンパスでスタスタと富樫が追ってくる。まさかこのままマンションまでついてくるつもりなのだろうか。
「どうして」
 智は、歩調を緩める。
「どうしてそんなに僕にかまうんですか。家まで送ってくれたり、嘘ついてまで待ち合わせの邪魔をしたり」

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