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 偽りは医師の嗜み
あとがき
 偽りは医師の嗜み

「啓輔、いい加減にしろよ」
 野々山聖はカウンターの隣でぐてんぐてんに酔っ払っている友人、西城啓輔の肩をグイッと押し返した。
「そんな冷たいこと言うなよ~。俺たち友達だろ? 聖」
 聖が目いっぱい嫌な表情をしているというのに、啓輔はまったく気にせずに聖にしがみついてくる。
 酔っ払いに何を言っても無駄であることを改めて悟るしかない。聖は啓輔を挟んで向こう側に座っているもう一人の友人、真田雅彦に声をかけた。
「真田、啓輔、また振られたのか?」
「ああ、今度は一か月のおつき合いだった」
「まったく、この男はどうして次から次へと……」
 聖は自分にしがみついて離れない男の顔を睨んだ。
 西城啓輔。聖や真田が勤める都下でも一、二を争う辻が谷総合病院の花形、脳神経外科の医者だ。三年ほど前、大学病院から引き抜かれてやってきた男である。
 引き抜かれてきただけあって、腕は言うまでもなくとてもいい。アメリカでの研修経験もあり、執刀回数も同期の医師と比べたら断トツに多い。
 しかもこのマスクだ。彫りの深い顔立ちに艶のある真っ黒な髪。同じ色の切れ長で鋭い感じを与えながらもどこか甘みを含む双眸。
 医者という職業を除いたとしても女性にもてること間違いなしという容姿をしている。
 だが、いかんせん、啓輔は女癖が悪かった。いや、女運が悪いのかもしれない。つい、もしかしたら啓輔ばかりが悪くはないのでは? という庇う気持ちが湧き起こってくるのも事実であるが、どちらにしても、せっかくの輝かしい経歴もチャラになってしまうくらい女性関係に運がなかった。
「例のフラワーショップの美人オーナーと別れたのか?」
 啓輔がヤケ酒を飲んでいるから助けてくれと、真田に呼ばれただけの聖は、経緯がまだよくわからない。
 啓輔を適当にあやしながら真田に尋ねた。
「いや、それは前の女かな……。今回は商社のOLだと」
 そういえば先月、新しい彼女ができたと聞いていた……。
 途端、慰める気にもならなくなる。
「啓輔、お前、医者としては尊敬しているが、男としては最低だぞ」
 酔っ払いの頭を小突く。それでも嬉しそうに笑って聖に擦り寄ってくる啓輔に、聖は溜息を吐くしかなかった。
「奥さんとだって別れたばかりなのに」
 啓輔は実はバツイチだ。一年前に結婚して五か月目にして破局、離婚した。そしてそれから六か月、本日どうやら三人目の女に振られたらしい。結婚する前もこの調子で、短期間でつき合う相手を替えていた。
 まったくろくでもない。
 一体、この男はどこまで恋愛に本気なのかわからないというのが聖の本音だ。それでもこんなふうに呼ばれたら、失恋した彼を慰めるために顔を出すようにしている。
 真田を含め、三人でつるんで三年弱。三人とも同じ病院の医師で多忙の中、それぞれ励まし合ってハードな業務を乗り切ってきている。
 私生活がダメダメな男でも、戦友とも言える啓輔を放っておくことはできない。普段はエリート医師として辣腕を振るう啓輔が、こうやって見せるだらしない姿も、彼が聖たちに心を許している証拠なのだと思うと、聖としても見捨てられないのだ。
 聖は小児科医。啓輔と真田は辻が谷総合病院の看板ともなっている、脳神経外科医だ。
 聖は真田と啓輔とは、通常業務内ではほとんど接点はない。なのに仲がいいのは、聖と真田の研修先が同じ病院で、一人で四苦八苦している聖に、真田が声をかけてきてくれたのがきっかけだった。
 進む科は違っていたけれど、自分と同じ立場の真田と研修医としての迷いや葛藤をお互い口にしているうちに、随分と心が慰められた。頑張ろうという活力を貰ったと言っても過言ではない。
 そんな中、大学病院からやってきたばかりの啓輔を真田に紹介され、啓輔とのつき合いも始まった。
 そして今に至る。
「本当に女癖が悪いのか、それとも女運が悪いのか……」
「こいつにとったら、そんなこと、どっちでもいいんだろうよ。実際、関係ないからな」
「え?」
 真田の呟きに聖は意味がわからず、視線を真田に移す。
「はっきり言えば、自業自得だ……まあ、お前が早く結婚して落ち着けば、啓輔も自然とおとなしくなるよ」
「なんで俺が関係してくるんだよ」
 ちょっとだけ、気恥ずかしくなる。
 実は聖にはつき合って四年になる恋人がいる。
 結婚を前提にしてつき合ってきたわけではなかったが、最近、惰性でこのまま結婚するのかもな、と漠然と思うようになっていた。
 恋人に悪いと思いつつも、どうしても結婚したいという思いは生まれてこなくて、男としてのケジメもつけず、今までずるずるとつき合ってきた。
 聖の行動が啓輔に影響を与えているなんて考えたこともなかった。啓輔のほうが聖よりも一歩も二歩も先を歩いているように思っていたので、そう言われてもピンとこない。
 だが、聖より多く啓輔と時間を共有している真田がそう言うのなら、あながち嘘でもないのだろう。気づかないところで啓輔に多少なりとも影響を与えているのかもしれない。
「俺が結婚決めれば、啓輔も落ち着くっていうのか? う~ん、なんだろう。自分ばかり所帯持ちになって、俺たちのような独身貴族に未練があって戻りたかった、とか?」
「どうだろうな、ま、聖がふらふらしているうちは、こいつも落ち着かない」
「なんか俺に責任転嫁してないか?」
 聖は真田を少しばかり睨む。すると聖の携帯がいきなり鳴った。
「病院か?」
 医師には休みがあってないようなものだ。オフでも携帯の所持が義務づけられている。電波という鎖によって二十四時間、病院に繋ぎ止められているハードな職業だ。
「いや、噂をすれば、里佳子だ」
 聖は一言真田に告げると、すぐに携帯に出た。
 里佳子は聖の恋人だ。真田はその名前を耳にすると、承知したように口を噤み、目の前のカクテルに手を伸ばした。
 聖にしがみついていた啓輔も寝てしまったのか、静かに息を潜めていた。
「ああ、わかった。そう、うん……じゃあ」
 短く通話を終わらせると、聖は表情を歪めながら真田に言った。
「悪い。里佳子が今から会えないかって言ってきた」
「ああ、いいよ。後は俺に任せておけ。啓輔もおとなしくなったし」
「里佳子が強引に会いたいなんて言ってくるのは珍しいんだ。何かあったのかもしれない」
 聖が里佳子と四年も交際を続けてこられたのは、彼女が仕事に対して理解があり、無理に会いたいなどという我儘を言わなかったところによるものが大きい。
 医者という職業柄、時間の融通はきかない。そのためなかなか恋人に時間を合わせることができない。恋人の理解がなければ恋愛も長続きしないのが実情なのだ。
「里佳子さん、目黒だったか? 気をつけてな」
「ああ、悪い。先に帰らせてもらうよ。啓輔にも目が覚めたら悪いって謝ってたって伝えてくれ」
「ああ、わかった」
 聖は真田の返事を聞くと、カウンターに一万円札を一枚置き啓輔のことを気にしつつも、そのまま店を後にした。



 聖の背中がドアから消えるのを見計らって、真田がカウンターに伏せる啓輔の足を軽く蹴ってきた。
「おい、啓輔、起きてるんだろ? 俺に狸寝入りしても仕方ないだろう」
 呆れたように真田が声をかけてくる。酔い潰れていたはずの啓輔は、ムクッと躰を起こした。
 真田に何もかも見透かされているのが、仕方ないと言えども気に食わない。つい睨みつけてしまう。
 だが真田はそんな啓輔になんとも感じないのか、平然として言葉を続けてきた。
「聖は帰ったぞ」
「わかってる」
 不機嫌を露わにした低い声が啓輔の口から零れる。
「マスター、おかわり」
 啓輔は不遜な態度でそう告げると、隣に座る真田をもう一度睨んだ。
「お前、なんで聖を引き止めないんだ。さっさと帰しやがって」
「俺に文句を言うなよ。聖を呼んだのは里佳子だからな。俺のせいじゃないだろうが。大体、何杯飲んでも酔わないザルが、酔っ払いの振りをするな」
 真田が溜息混じりに呟き、啓輔同様、次のカクテルを頼む。
「酔っ払った振りでもしなきゃ、聖にベタベタできないだろうが」
 ふてくされながらそう言ってやると、真田は突っ込みを入れたそうなのを抑えながらもう一度大きく溜息を吐いた。
「そろそろ女とそういう意味でつき合うの、やめたらどうだ?」
「どういう意味で、だ?」
 ドスをきかせた声で真田に突っかかる。そうでもしなければ、やっていられない気分だ。
「聖に優しくしてもらいたいから、女とつき合っては振られてるんだろ?」
「フン、仕方ないだろ。女に振られた時くらいしか、聖は俺に優しくしてくれないんだから」
「何が、優しくしてくれない、だ。まったく。大体、本当は振られた、じゃなくて振ったんだろ? 性悪男が」
 啓輔は無言で真田を一瞥する。真田はそんな啓輔を横目にカクテルをぐいと飲み干すと、再び口を開く。
「そんなことばかり続けていると、また結婚しなければならないハメになるぞ」
 そうなのだ。
 一年前に結婚してしまったのも、言わせてもらえば聖のせいだと断言したい。大体、聖にやきもきさせようとして、失敗して結婚するハメになったのだ。
 啓輔の計画では結婚話が持ち上がった時点で、聖が啓輔のことを本当は愛していると気づいてくれるはずだった。
 だが、いざ蓋を開けてみれば、もちろん聖は啓輔のことを愛してはいなかったし、逆に啓輔の結婚を喜んでくれて積極的に準備に協力してくれた。そのせいで最後にはにっちもさっちもいかなくなり、結婚せざるを得なくなってしまったのだ。
 あれは本当に失敗だった。
「愛してる」と言わせようとしたのが、にっこり笑って「やっと落ち着いてくれて嬉しいよ」と言われてしまったのだ。究極の失敗としか言いようがない。
 あの時は真田からも大馬鹿だな、と呆れられた。
 だが、どんなに他人から罵られようとも、啓輔は聖が好きで堪らないのだ。
 好きすぎて告白もできないほどに。
「我ながら純愛だよ……」
 大きな溜息が出る。