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 メス花でコバナシ!
 眠れない夜
 冬の遠足
 For You, My Love
  SPメス花2号 電子書籍版のためのあとがき
 SUNNY

   1

「……だる……」
 それが、その朝の永福(えいふく)篤臣(あつおみ)の第一声だった。うつ伏せで寝入ってしまったので、なんとなく顔が腫れぼったい。軽い頭痛もする。
「うー、頭まで痛ぇや……」
 両手をシーツについてのっそりと頭を起こすと、枕元の時計が目に入った。
 午前十時半過ぎ。
 土曜日の朝とはいえ、ずいぶんと気前よく寝坊したものだ。傍らには、素っ裸の恋人……いや、すでに結婚式を挙げたあとなので、自称旦那というべきだろうか……の江南(えなみ)耕介(こうすけ)が、腰にかろうじてブランケットをまといつかせた状態で熟睡している。手足が妙な角度に曲がって、まるで「シェー」のポーズだ。男前が台無しの、情けない寝姿である。
 しわしわのシーツや乱れたブランケットが昨夜の情事の激しさを物語っているようで、篤臣は思わず自分の周囲だけ、シーツを伸ばしてみた。そんな姑息な行為になんの意味もないことは重々わかっているのだが、気恥ずかしくてじっとしてはいられないのだ。
「……江南の奴、また真裸(マッパ)で寝てやがるし。っつか、俺、ほとんど気絶寸前だったはずなのに、よくパジャマ着るガッツが残ってたなあ……」
 開けっぴろげというかなんというか、江南は篤臣を抱いたあと、いつも裸のままで眠る。本人曰く、「全身全霊でやるから、あとは何をする気力も残っとらん」そうなのだが、それにしてもよくこれで風邪をひいたり腹をこわしたりしないものだと、篤臣はしみじみと呆れたり感心したりする。
 いつもなら、目が覚めれば思いきりよく起き出して一日の活動を開始する篤臣だが、その朝はとてもそんな気になれなかった。
 昨夜、江南に無茶な抱き方をされたせいで、腰のあたりに軽い鈍痛が残っている。たっぷり六時間ほども眠ったはずなのに、血管の中を疲労の粒子が駆け巡っているような感じだ。
「畜生、何が『倦怠期を迎えたりせえへんように、新しい体位を開発せな』だ。このクソバカ野郎。倦怠期の前に、俺は命の危機を感じるっての」
 そんな悪態をつきつつ、篤臣は再び大きな羽根枕に顎を埋めようとした。やわらかすぎるベッドが、篤臣の動きに反応して小さく軋む。その音に眠りを妨げられたのか、江南が低く唸った。
 それでも目を覚まさない江南に、篤臣はベッドの上をそろそろと這って近づいた。
 江南は、まずいものでも食べたときのように、眉間に浅い縦皺を寄せた顰めっ面のまま眠っている。眠っていても、江南の顔は精悍だ。形のいい顎には、うっすらと無精髭が生えていた。
「……ったく、俺が起きちまったってのに、ひとりだけ気持ちよく爆睡してんじゃねえよ」
 苦笑いで呟き、篤臣は片手で頬杖をつき、もう一方の手でそんな江南の顎に触れた。手のひらで撫でると、ザラリと髭の先が当たる。
 カーテン越しに差し込む日の光で、部屋の中は十分に明るい。篤臣の頭のほうは、すでにバッチリ覚醒していた。それでも頑強に起きることを拒否する身体に従って、寝そべったままで江南の寝顔を眺める。
 もう十年も見続けたその顔は、出会った頃より頬の肉が削げ、さらに野性味を増した。それでも、睨まれれば未だに竦んでしまう鋭い目も、高い鼻筋も、キスのときには遺憾なく実力を発揮する肉感的な唇も、初対面のときから少しも変わらない。
「……う」
 キスのことなど考えてしまったせいで、篤臣はひとり顔を赤らめる。いつだって、それ(ヽヽ)は一つのキスから始まるのだ。
 昨夜は、ふたりして江南のアメリカでの上司の自宅に招かれ、夕飯をご馳走になった。上司夫妻と話が弾んですっかり長居してしまい、タクシーで帰路についたのは、午後十一時を過ぎた時分だった。
(で、あんまり楽しく過ごしてきたから、ふたりとも家に帰り着いてもちょっとハイだったんだよな。……その、寝るのがもったいないくらい)
 篤臣は、おぼろげな記憶を辿る。
 帰宅したふたりは、交代で風呂を使ったあと、なんとなく「飲み足りない」とどちらからともなく言い出し、冷蔵庫に入っていた白ワインを飲むことにした。
 リビングのソファーに並んで座り、たまたまやっていた「スター・トレック」の鯨をネタにしたおめでたい映画を見ながら、ふたりはチーズやらポテトチップスやらを肴に、したたかに飲んだ。途中でワインがなくなってからは、ジンやらウォッカやらブランデーやらを使ったでたらめなカクテルを作って、とにかく飲み続けたような気がする。
 ふたりがこういう関係になる直接のきっかけになったのは、箱根で開催された国際学会の夜だった。あのときは、ふたりして深酒をしたせいで、江南が泥酔状態の篤臣を強姦するという最悪の事態になってしまった。
 そんな過去をふまえ、これまで江南も篤臣も、ふたりで飲むときは、軽くたしなむ程度に留めてきた。だが昨夜は、なんとなくそんな自制心を取り払い、楽しく飲んで盛り上がりたい気分だったのだ。
 そのうち、江南がふざけてキスを仕掛けてきて、最初はおざなりにあしらっていた篤臣も、その執拗さにだんだんその気になってきた。いつの間にか、自分からもキスを返したり、江南の首筋に痛いくらい歯を立てたり……。
(そうだった。そんで、江南に押し倒されかけて……。ソファーでやるのは絶対駄目だ、カーペットの上も嫌だ、どっちもうっかり汚したらクリーニングが大変だからってごねたら、そのまま足持ってベッドルームまで引きずってかれたんだ……)
 その後のことは、詳細に回想すると憤死しかねない。篤臣は、頭をぶんぶんと振って、どうしようもなく熱くなった頬を片手でピシャリと叩いた。
「くそ、今さら照れるなよ、俺。あれは酒の勢い……そう、酔っぱらってたから、あんな……あんなすげえ格好で……」
 まさしく自滅状態である。昨夜、テンションが高いままで江南の誘いに応えてしまい、普段の自分なら絶対にしない……というか、思いつきすらしないような大胆なあれこれを試してしまったことをうっかり思い出した篤臣は、両手で頭を抱えた。
「ああああああ。信じられねえ! くそっ、それもこれも、全部お前が悪いんだ、江南!」
 とてもじっとしていられなくなって、篤臣は江南の胸の上に半分乗り上げ、それでも目を覚まさない江南の鼻を、ぎゅうっと力いっぱい摘んだ。
「……ふご? ……な……なんや……?」
 痛みと息苦しさで、さすがの江南も目を開ける。
 こちらも腫れぼったい瞼をパチパチさせて、至近距離にある篤臣の怒り顔を見た。
「ああ、目え覚めたんか。……って、お前、どないしてん。赤い顔して、熱でもあるんか」
 掠れた鼻声で言いながら、江南は鬱陶しげに篤臣の手を自分の鼻からどけさせる。篤臣は、キリリと眉を吊り上げ、そんな江南の顔を睨んだ。
「どうしたじゃねえよ、この馬鹿」
「起き抜けから、なんでそないにぷりぷり怒ってんねんな。……ああ」
 江南は納得いったという顔つきで、篤臣の寝乱れた猫っ毛を、大きな手のひらで撫でた。
「酒が残っとって、具合悪いんやろ。昨夜は久々に飲み倒したからな。ま、今日はお互い休みなんやし、ゆっくり寝とったらええやないか」
「原因は、酒だけじゃねえよ!」
 篤臣は、やけっぱちの勢いでがなり、江南の額にデコピンを喰らわせた。手加減なしの攻撃に、さすがの江南も額を抑えて呻く。
「凶暴なやっちゃなー。ほな、なんやねん」
「さ、酒飲んで盛り上がってたからって、あんま無茶すんなよ! 身体あちこち痛いわ怠いわ、もう俺、ガタガタだよッ。あんなの、二度とやらねえ。金輪際ゴメンだからな!」
 篤臣はそう言い捨てて、江南から離れた。クルリと背中を向けて横たわり、ブランケットを引っ被る。
「……ああ、そっちのほうもか」
 ようやく得心がいった江南は、篤臣が見ていないのをいいことに、実にやに下がった笑みを浮かべた。むっくりと起き上がると、丸まった篤臣の背中に手のひらで触れる。
「…………」
 ブランケット越しに宥めるように撫でても、篤臣はピクリとも動かなかった。まるで、手足を殻に隠して攻撃から身を守ろうとするカメそのものだ。江南は笑いを堪え、真面目な声を作って問いかける。
「べつに、俺は無理強いした覚えはないねんけどな。それともお前、もしかして嫌やったんか?」
「う……うるせえ!」
 噛みつくように怒鳴って、篤臣はさらに背中を丸める。江南は篤臣に覆い被さるように手をつき、白いうなじに口づけた。篤臣の身体が、小さく震える。江南は調子に乗って、もう一度、今度は音を立てて思いきりキスしてから、こう続けた。
「そんなに照れんでもええやろ。俺は最高に気持ちよかったで? それとも、お前はそれほどでもなかったんか?」
「………………」
「ほら、特にアレ。あの、両足を滅茶苦茶高う上げて、腰浮かせて真上から……」
「わー、わー、わーっ! それ以上言うな、馬鹿ッ!」
 たまりかねて、篤臣はとうとうわめきながら跳ね起きる。それがあまりに唐突だったので、江南は篤臣をよけきれず、ふたりの頭は見事に激突した。
 ごつん!
「ぐわッ」
「痛っ」
 鈍い音に続き、ふたりの悲鳴がベッドルームに響く。
「な……何すんねんお前は」
「それはこっちの台詞だろ!」
 江南は側頭部を、篤臣は額を押さえて、お互い涙目で相手を睨む。だが、その間抜けっぷりが可笑しくて、ふたりは同時に吹き出した。ひとしきり笑ってから、篤臣は脱力したようにベッドヘッドにもたれて座る。
「あーあ、具合悪いのに、馬鹿笑いしてよけいバテたじやねえか。……昨夜は、マジ飲みすぎた。年だなあ。まだアセトアルデヒドが、身体中に残ってる感じだ」
 江南は、篤臣の傍らに同じように足を投げ出して座り、篤臣の肩に腕を回して、自分よりは幾分痩せぎすな身体を抱き寄せた。今度は慎重に、篤臣の額に自分の額をくっつける。
「熱はあらへんな。……二日酔い、酷いんか? 薬飲むか?」
 篤臣は、おとなしく江南の額に重い頭を預けて答える。
「そこまでじゃないけど……それでももうちょっとベッドにいたい気分だな。頭がガンガンしてやがる」
 そのまま、篤臣は頭を江南の肩まで滑らせる。江南は、ようやく機嫌が直りつつあるらしい篤臣の頭に頬を押し当てて言った。
「さっきも言うたけど、それやったら寝たいだけ寝とけや。今日はべつに予定ないんやろ?」
「ないけど……休みの日には、いろいろやりたいことがあんだよ。洗濯と掃除と、それから庭の手入れとか、食料の買い出しとか」
「そんなもん、今日やらんでも誰も死なへんやろが」
「そりゃそうだけどさ」
 基本的に几帳面な性格の篤臣は、不満げに唇を尖らせる。江南はサイドテーブルに置いた煙草に目をやったが、手が届きそうにないので諦めた。どちらにしても、ベッドで煙草を吸うと、篤臣は嫌な顔をする。今は吸わないに越したことはなさそうだ。
「たまには、全然働かん休日っちゅうのもええんやないか? ゆっくり身体休めて、なんぞ楽しいことして……」
「楽しいことって?」
「せやなー」
 江南は天井を仰いでしばらく考え、再び口を開いた。
「そら、いちばん楽しい言うたら、お前とベッドで……うぷっ」
「言ってんじゃねえ!」
 電光石火の早業で、篤臣が背中に当てていたはずの枕が、江南の顔面を直撃する。だが、篤臣が本気で怒っていない証拠に、いったん離れた篤臣の頭は、勢いよく江南の肩に戻ってきた。
「相変わらず、素早い攻撃やな」
 そんなぼやきとともに、江南は自分の顔の形がついた枕を投げ捨てた。それから、また少し考えてこう言った。
「映画見に行ってもええし、ダウンタウンまで買い物に行ってもええし、劇場で何か面白い芝居やっとるかもしれへんし、ちょっと高級な飯食いに行くんもええけど……」
「けど?」
「今日は、マジでなんもせんと過ごしたい気がするな。お前とゴロゴロして、喋って、腹が減ったら適当にあるもん食うて、眠うなったら寝て」
 そんな怠惰な提案に、篤臣はクスリと笑った。パジャマの肩を抱く江南の腕の温かさがやけに心地よくて、怒りん坊の篤臣も、いつまでも不機嫌ではいられないのだ。
「それ、楽しいのかよ?」
 江南は真面目くさった顔で頷く。
「当たり前やろ。俺は、お前さえおったら、いつでもどこでも楽しいで」
「あーはいはい、それはどうも」
 照れ隠しにぶっきらぼうにそう言い、篤臣はうーんと大きな伸びをした。
「それにしたって、こんなぐちゃぐちゃのベッドでいつまでも寝てんのは嫌だな。天気もいいみたいだし、起きて風呂入って、ありあわせで昼飯でも食おうぜ」
 結局のところ、本当の意味で「何もしない」のは、篤臣にとって苦痛以外の何物でもないらしい。勤勉であることが、彼にとってのデフォルトなのだろう。
「……ほな、起きるか」
「うん。……俺すげえな。あんだけベロベロに酔ってても、あとでちゃんとシャワー浴びて、パジャマに着替えたみたいだ」
 ベッドから降りた篤臣は、パジャマの襟首に鼻を突っ込み、くんくんと自分の身体から仄かに漂うボディシャンプーの匂いを嗅いでそう言った。江南は笑いながら頷く。
「おう。お前、フラフラしながらバスルーム行っとったで」
 そんな呑気そうな江南めがけて、篤臣は床から拾い上げた江南のシャツを放り投げた。
「どうせ、お前は風呂にも入らずにそのまま寝たんだろ? とっととシャワー浴びてこいよ。そのあいだに、ブランチ作っとくからさ」
 そう言って、篤臣はクローゼットを開け、長袖のシャツとカーゴパンツを取り出す。着替え始めた篤臣の耳に、まだベッドから出ようとしない江南の声が、ボソリと聞こえた。
「………………んか」
「あん? 何か言ったか?」
 シャツに袖を通しながら問い返すと、江南はちょっと決まり悪そうに、こう言った。