立ち読みコーナー
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 それが俺のすべて
 死ぬまでハッピー
 愛のカタマリ
 フツウの毎日
  SPメス花1号 電子書籍版のためのあとがき
 死ぬまでハッピー

 (中略)

 江南と篤臣が渡米して、はや三ヶ月が経過した。
 もうすっかりアメリカでの生活にも慣れ、穏やかに月日が流れつつあったある日曜日……。

「……なんや。もう起きるんか?」
 その日の朝、江南は腕の中の篤臣がモゾモゾと身じろぎする気配で、目を覚ました。
「ん……腹減った」
 篤臣は、江南の抱擁から器用に腕をズボリと抜き、寝そべったままで大きな伸びをした。江南は、枕元の目覚まし時計に目をやり、鼻筋に不満げな皺を寄せる。
「まだ十時やないか。休みの曰くらい、昼まで寝ようや」
「ばーか、休みの日だからこそ、やることいろいろあるんだろ。起きようぜ」
 篤臣は江南の腕を解こうとしたが、江南は低く唸って、再び篤臣のうなじに鼻筋を押しつけた。くすぐったさに、篤臣は笑いながら身を振る。
「馬鹿、よせ。起きろってんだよ」
 篤臣の肌触りのいいパジャマの裾が引っ張られて、鎖骨のあたりがちらりと覗く。そこにほの赤いキスマークを見つけて、江南は目を細めた。
「な……なんだよ、このスケベオヤジ! ニヤニヤしてんじゃねえよ!」
 江南の表情から、昨夜のことを思いだしたのだろう。篤臣は、面白いくらい瞬時に顔を赤らめた。片手でパジャマの裾を引き寄せながら、もう一方の手で、江南の顔を殴ろうとする。
「今さら何照れてんねん、アホ。疲れてるんや、俺は。寝かせろ」
 大暴れする篤臣に閉口した江南は、呆れた口調でそう言って、少しだけ腕を緩めた。篤臣とは対照的に裸のままで寝ている江南の胸を、篤臣は拳でドンと叩く。
「今さらもクソもあるかよ! ……ったく、疲れてんのは、お前が無茶するからだろ。俺だって、身体がだるくて死にそうだ」
「お前かて、昨日はやけに積極的やったやないか。『やめんな』って言うたんはお前やぞ」
「ば……馬鹿ッ! それはお前が……うぷっ」
 湯気の立ちそうな顔でがなり立てる篤臣の唇を、江南は笑いながら自分の唇で塞いでしまった。そして改めて両腕で、篤臣のしっかりとパジャマを着込んだ身体を抱きしめる。
「む〜〜〜!!」
 しばらく目を見開き、ジタジタと抵抗していた篤臣も、さすがに酸欠状態でグッタリしてくる。それを見計らって、江南は器用に唇を離し、囁いた。
「俺がしつこく煽ったからやろ? わかってるて」
「…………大……馬鹿……やろ…………」
 呼吸の整わない篤臣は、迫力のない罵倒の言葉を口にし、恨めしげに江南を睨んだ。
「と……とにかく。どっちかってえと疲れてんのもだるいのも、俺のほうが上なんだからな! お前は好き放題無茶ばっかするだけで、疲れてなんかねえだろ、ホントは! おら、とっとと起きて、たまには俺に朝飯くらい食わせてみろよ」
 ようやく動悸と弾む息が鎮まった途端に、篤臣の口から飛び出したのはいつもの不平百連発である。
「あんなあ、お前……」
 江南は、さすがにげっそりした顔つきで、篤臣のまだ赤みを残した顔をしげしげと見た。
「いつも言うことやけど、あんだけその、いろいろやらかした後っちゅうんは、もうちょっと雰囲気のある朝でも迎えてみたいもんやと……、俺は思うんやけどな」
「何言ってんだよ。毎度毎度、わけわかんない文句言うなよな。雰囲気なんて言われたって、あちこち痛いわ、だるいわ、お前が考えなしにあちこち赤くするせいで着る服考えなきゃいけねえわ、シーツは洗わなきゃならねえわ、そのくせお前は家事音痴で、俺の仕事全然減らねえわ、どこにお前がしょっちゅう口にする『ロマンチック』だの『気怠い』だのが入り込む隙があるってんだー!」
「……ご……ごもっとも」
 一言のツッコミで、これだけ不平不満を突き返されては、さすがの江南も素直に頷くしかない。
 江南をやり込めて、少し機嫌が直ったらしい。篤臣はちょっと得意げな顔で、江南の腕から這い出した。ベッドから降り、着乱れたパジャマを両手で引っ張って伸ばす。
「納得したら起きろよ。百歩譲って朝飯は俺が作ってやるからさ。……ほら、今日、雨樋(あまどい)の修繕するって約束だろ」
「……雨樋?」
 仕方なく、むくりと身を起こした江南は、長めの髪を両手で後ろに撫でつけながら、首を捻った。
 篤臣は、呆れ果てたと言いたげに、両手を腰に当てて胸を反らした。寝乱れてグシャグシャになった鳥の巣頭とチェックのパジャマが相まって、まるでやんちゃな子供のように見える。
「ほら、雨樋が一ヶ所、ジョイントが外れてブランブランになってるとこ、外から見えてみっともねえから次の休みに修繕するって、お前約束しただろ?」
「……ああ……そんなこともあったな」
 ボリボリと首筋を掻きながら、全裸で胡坐を掻いた江南は、男前が泣きそうなくらい大口を開けて、欠伸をした。
「せやせや。雨はそうそう降らんかもしれへんけど、雨樋壊れてると、何か家庭不和って感じするし、ちょっと不細工やって言うとったな」
「思い出したら、とっとと起きてシャワー浴びてこいよ。その間に、飯作っとく」
「んー……お前は? 風呂……」
「俺は、寝る前にちゃんと入った。お前と違って、俺はきっちりしてんの。……ったく、よく汗掻いたままそんな素っ裸で寝て、腹下したり風邪ひいたりしねえよな、お前」
「……そら、人間毛布がおるからな」
 江南は、うっすら髭が生えた顎を撫で、ニヤリと笑う。
「ばッ……」
「さーて、一風呂浴びてこよ」
 篤臣が怒声を張り上げようとするのを巧みにかわし、江南は全裸のまま、スタスタと寝室を出ていった。
「……あの馬鹿。いくら俺しか見てないからって、パンツくらい履けよな。雨樋より、あいつのほうがブランブランじゃねえか」
 気勢を削がれて脱力した篤臣は、江南の出ていった開けっ放しのドアから、今は空っぽのベッドに視線を滑らせた。
 キングサイズの、男二人で寝ても十分な大きさのベッド。薄暗い部屋の中、ブラインドから差し込む筋状の光に、無残なほどクシャクシャになったシーツが照らされている。
「…………」
 ぼんやりそれを見ていると、昨夜の自分の言動を嫌でも思い出し、篤臣はひとり赤面した。
 日本にいた頃は、江南に抱かれるたび、つい乱れてしまうのは、江南がなかなか家にいないからだと思っていた。久しぶりだから、身体と心が渇いていて、そんなふうになってしまうと思い込んでいた。
 だが……。
(こっち来てから、けっこうずっと一緒にいるけど、やっぱああいうときって……)
 江南にからかわれなくても、昨夜の記憶はおぼろげに残っている。最初こそ羞恥で身体が固く強張っていたものの、次第に自制心がなくなって、江南にすがりつき、もっとほしいと求めた……。
(久しぶりじゃねえのに。……なんか、身体も心も、江南でいっぱいいっぱいなのに、もっともっと……って)
 なんだかたまらない気持ちになって、篤臣は乱暴にシーツを引きはがした。惨状を見ないように顔を背けてグルグル丸めながら、篤臣は思わず嘆息した。
「俺……いつからこんなに欲張りになったのかな」
 親元を離れてから、ずっとひとり暮らしだった。江南と同居するようになって、さらに一緒に渡米し、このシアトル近郊の小さな家に暮らし始めてからというもの、とにかく毎日が賑やかになった。
 二人でいるときは、いつも喋って、笑って、怒って、飲んで、食べて……。
「もう、江南が全然帰ってこなかったときみたいに、寂しくなんかないのにな。嫌んなるくらい一緒にいるし、あいつクサイことばっかり言うから、もうゲッソリしてんのに……」
 それでも、抱き合って、素肌を触れ合わせていると、もっともっと近づきたくて。もっと一つになりたくて。
 そんな感覚は、今までなかったものだった。
(これまでつきあった彼女とだって、そこまでじゃなかったもんなあ……)
 丸めたシーツを洗濯機に放り込み、洗剤を入れてスイッチを入れる。そして台所へ行き、冷蔵庫を開けながら、篤臣はまた一つ溜め息をついた。
「俺、江南のこと、マジでそこまで好きなんだ……ってか、形式だけっつっても、結婚までしたんだもんな、俺たち」
 右手に卵のパックを持ったまま、篤臣は左手を広げてみた。薬指にはまっているのは、なんの装飾もない、無骨なプラチナの指輪。結婚式を挙げたとき、江南がはめてくれてから一度も外していないそれを、篤臣は気恥ずかしいような、嬉しいような、なんとも言えない気持ちで見つめた。
 大事にする、というそのときの江南の言葉に嘘はなかったと思う。癇癪持ちの篤臣がどんなに些細なことで怒っても、江南はそれを上手にはぐらかし、宥め、そして我が侭を聞いてくれる。
 これまでの埋め合わせをするように、少しでも長く自分と一緒にいようとしてくれる江南の気遣いに、篤臣はとうの昔に気づいていた。
 そして篤臣のほうも、江南が研究に専念できるようにと、日常の家事のほとんどを引き受け、できるだけ家の中を居心地よくするべく努力してきた。
(なんか、江南と俺って、お互いのことすごく考えてるよな。……気を遣ってるとか、遠慮してるとか、そういうのじゃなくて……)
 お互いのことをとても大切に思い、お互いのために何ができるか、何をしてやれば幸せな気分になってもらえるのかをいつも考えていること。
 相手が笑っていれば、自分も満たされた気持ちになれること。
「なんか、実家と違う意味で、これって『家族』って言うんだよな」
 そのくすぐったい響きに、篤臣はちょっと肩を竦めて笑った。そして、朝食を作るべく、調理台に向かったのだった……。

「おっ、ええ匂いやな。豪勢な朝食やないか」
 どたどたという足音と声が聞こえると同時に、背後から頬にキスされる。フライパンのホットケーキを器用にひっくり返した篤臣は、もうすぐできるから……と言いながら振り向き、ギョッとして目を見開いた。
 シャワーを浴びてきたらしい江南は、濡れた頭にバスタオルをかけただけの素っ裸だったのだ。
「お……おま、お前……何いつまでもフルチンで歩き回ってんだよ、馬鹿ッ!」
 顔を赤くしてフライ返しを振り回す篤臣に、江南は悪びれず頭をゴシゴシ拭きながら笑った。
「ホンマに今さらやな、お前。俺の裸なんか、もう見飽きてるやろ。それに、べつに好きで裸族やってるん違うぞ。下着入れに、新しいパンツなかったんやけど」
「……あ! そっか。ゴメン、今週バタバタしてて、昨日の夜、まとめて洗濯して干したからさ。まだ裏庭に干したままだ」
「そうか、ほな……」
「ま、待てよっ。そんな格好で外出んな! 近所の人に見られたらどうすんだ」
 全裸のまま裏口へ向かおうとした江南を、篤臣は慌てて引き留めた。その手にフライ返しを握らせ、自分がドアノブに手をかける。
「ホットケーキ、焦げないように見てろ。俺が取ってくるから」
「そうか? 悪いな」
 江南はフライ返しを受け取ると、台所へ入っていく。篤臣は、大急ぎで裏庭の物干し場へ飛んでいくと、パリッと乾いた洗濯物を、手当たり次第に籠に取り込んだ。
「……ったく、羞恥心ってものを持てってんだよ。だいたい、素っ裸でいつまでもうろついてたら、ホントに風邪引くじゃねえか」
 悪態をつきながら、大きな籠を抱えて裏口から台所へ戻った篤臣は、またしてもあんぐリ口を開いたまま凍りついた。
 彼の目に映ったのは、全裸にエプロンだけをつけ、フライ返しを持って妙な振りつけで踊りながらホットケーキをひっくり返している江南の姿だったのである。
 どうやら、ラジオから流れてくるオアシスの曲にあわせて踊っているらしいが、どう見てもその姿は、気持ちの悪い火星人のようだ。いや、問題はそんなことではなくて……。
「てめえ……この変態。なんのつもりだ、その異様な格好は!」
 声ばかりか全身を怒りに震わせる篤臣を見て、江南は澄ました顔で言ってのけた。
「なんやって、見たらわかるやろ。湯冷めしたらアカンし、手近にあるもん着てみたんや」
「……だからってお前……」
「滅多に拝めるもん違うで、俺の裸エプロンなんか。思わず押し倒したくなるやろ」
「なるかッ!」