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 恋鬼 〜身代わり花嫁の純愛〜
 ミニラフ画集 松本一個
  あとがき
 恋鬼〜身代わり花嫁の純愛〜

 時は、平安の時代から源平あい争う戦乱の世へと向かう頃。
 場所は、京の都の遠く、山また山を越えたさらに奥の、小さな村々がそれぞれ田畑を耕すところ。
 ふたりの若者がいた。
 ひとりは志高く、気高く、そして優しかった。ひとりは機智に富み、逞(たくま)しく、そしてやはり、優しかった。
「冬嗣(ふゆつぐ)様」
「輝明(てるあき)」
「……冬嗣様、この手はなんですか」
「愛(いと)しいそなたを覆う邪魔な衣を剥(は)ぐ手だよ」
「……冬嗣様、その輝く瞳(ひとみ)はなんですか」
「愛しいそなたのよく変わる表情を、見落とさぬための瞳ではないか」
「……冬嗣様、そのお腰の……あああ! お、お待ちください! ……待てってば!」
「許せ。これもみな、愛しいそなたがあまりに愛しいゆえなのだ」
「く、口ばっかりうまくなって……あっ……」
「うまくなったのが口だけとは心外な。……やはりわたしはまだ精進が足りぬのか?」
「……いえ……もう十二分に……ああ」
 今は昔、男ありける――。

 (中略)

 ――その夜。
 いつものように冬嗣はそっと褥に滑り込んできた。その胸に抱かれるのも、いつものとおり。
 だが、輝明を後ろから抱き締めた冬嗣はさらに肌小袖の裾を乱して、輝明の脚に脚を絡めてきた。手も握り、指を絡める。髪に唇まで押し当てられる。
「……キヨ」
 今までにない濃さに、輝明は落ち着かない気分で身じろいだ。腰の奥に、熾火(おきび)のようなしつこい熱がたまりだす。
 輝明はなにも知らぬ乙女ではない。村祭りの夜に年上の娘に手ほどきされたことがある。肌を寄せ合う気持ちよさも、自分の手ではない、他人の手で愛撫(あいぶ)される気持ちよさも、躯を繋げる気持ちよさも輝明はもう知っている。
 仲のよい夫婦の真似事で冬嗣にただ腕を回されて眠る時には平気だったが、冬嗣に対して恋心としか呼べぬ気持ちを抱き、冬嗣からも想いを寄せられていると感じて、肌を密着させるような抱き方をされたら、たまらなかった。もう、幼子が母の胸に抱かれるようなおだやかさで、冬嗣の胸に抱かれてはいられない。
「……冬嗣様」
 身を返して、輝明は冬嗣と向き合った。
「……キヨ」
 冬嗣の声も湿りを帯びて熱い。
 間近で瞳を見つめ合った。几帳の隙間(すきま)からの月明かりに、冬嗣の黒い瞳が光る。――輝明の身内の熱に劣(おと)らぬ熱と、そしてもどかしさがその瞳に浮かんでいた。
 冬嗣は男女の契りのことを知らない。脚を絡め、指を絡めて、髪に唇を押し当てても、その先、どうやったら自分の中の熱を放散することができるのか、心の求めるままにふたりの距離を縮めることができるのか、知らないのだ。
(でも、おれは知ってる)
 その先には輝明の性別がばれるという事態が待っている。
(なるようになるしかないだろ!)
 ずっと悩んでいたが、決断は一瞬だった。
 衝動のままに、輝明は首を伸ばすと冬嗣の唇に自分の唇を押し当てた。冷たい……けれど、柔らかい唇だった。
「な……」
 冬嗣の目が丸くなっている。
「なんだ、今のは……口を……」
 物慣れない反応に輝明の胸はずくりと疼いた。もう一度、唇に唇を合わせ、今度は軽く吸ってみた。
「……口吸いです」
「口吸い?」
「ご存知ないですか?」
「……し、知っておる、それくらい」
 負けず嫌いな冬嗣が虚勢を張っているのはすぐにわかったが、輝明はあえてその虚勢に乗ることにした。
「じゃあ今度は冬嗣様から」
「え」
「ご存知なんでしょう、口吸い。なら……」
「…………」
「冬嗣様がわたしの口なんか吸いたくないとおっしゃるならしょうがないです……」
 なかば本気でそう言った。冬嗣の好意がどれほどのものなのか、輝明にも自信などない。
 こくりと冬嗣の喉が鳴る。
「す、吸いたくないなどとは言ってない……」
「なら……」
 軽く顎を突き出し、口づけを待った。突き飛ばされるか叱られるかと思ったが、やがて、ふわんと柔らかく唇が触れた。不器用に唇が動き、ついばまれるような感覚があった。
「こ、これでいいのか」
 黒い瞳が不安を映して揺れている。
(可愛い)
 突然、今までとは別の熱いものが胸に溢れてきて、輝明は驚いた。
(可愛い、愛しい……)
 この物知らずな男のものになりたい。
 この純粋な男を自分のものにしたい。
 思わず手が動き、冬嗣の白い頬を挟んでいた。そのままの勢いで唇を合わせ、我慢できなくて舌を入れる。
「ふッ」
 驚いたような息さえ愛しくて、輝明は夢中で冬嗣の唇を吸い、その口中を舐(な)め回した。冬嗣の口腔はその肌と同じようにひんやりと冷たかったが、そのなめらかさと柔らかさに輝明は夢中になった。
 ひとしきり、冬嗣の口を舐め唇を吸い、輝明はやっと顔を離した。本当はもっともっと続けたかったが、さすがにこれ以上はまずいかと思ったのだ。
「キヨ……」
 茫然としたような冬嗣の顔があった。突然、その眉がくっと寄った。
「あ!」
 肩を押されて仰向けにさせられる。冬嗣が乗りかかってきた。
「冬嗣、様……?」
 怒らせたかとちらりと不安が走る。が、それもほんの一瞬。ぶつけるような勢いで冬嗣が唇を合わせてきた。おかしな音が立つほどに唇を吸われ、驚きのあまりゆるんだ唇の間に舌を捻(ね)じ込まれた。今度は輝明が口腔を舐め回される番だった。荒々しい舌が、輝明の口蓋を舐め、歯列をなぞり、舌へと絡んでくる。
「……ん、ふ……」
 いつの間にか、動けぬように頭を抱え込まれていた。
「は……」
 息をつくのも束(つか)の間。またすぐに貪欲(どんよく)な唇に唇を奪われる。
 ついさっき、口吸いが気持ちいいと教えたのは自分のほうなのに。
 決して上手でもなければ慣れてもいない舌使いだったが、その乱暴さと熱心さには輝明の頭をぼうっとさせるほどの勢いがあった。
「ふゆ、冬嗣、さま……ッ」