立ち読みコーナー
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梟はなぜ烏を黒く染めたのか 7
あとがき           261
 机の上を片づけた黒羽は鞄を手に秘書室を出て、地下通路に向かった。議員会館と永田町(ながたちよう)駅は地下で繋がっていて、外に出ずとも地下鉄に乗ることができる。
 その時、声をかけられて足を止めた。
 振り返るなり眉間に皺(しわ)を寄せてしまうのは、目に飛び込んできたのが因縁の相手だからだ。
「深森議員……」
「よぉ」
 嫌な奴に会ったと思うが、深森は鳥貝と同じ『はばたけ』の議員だ。こうして偶然会うことも当然ある。自分が何か失礼なことをすれば鳥貝に迷惑がかかると、子供の頃からの因縁は忘れて礼儀正しく頭を下げる。
「お疲れ様です」
「少しは歌上手くなったか~?」
 ムッとした。メディアの前とはまったく違う。子供のようなことを言って楽しむところがあるなど、有権者は知らない。外面のよさには感心する。この男の本性を国民に教えてやりたいものだ。
「これからお帰りですか?」
「お前もか?」
「はい。二把取議員の件で取材を受けているのをテレビで拝見しました。鳥貝先生も感心しておいででしたよ」
 昔掴み合いの喧嘩をしたとは思えないほど、慇懃(いんぎん)な態度で接する。それだけ大人になったということだ。心の中では面白くなく思っていても、礼儀を欠かないよう振る舞うことくらいはできるようになった。しかし、それが深森の悪戯(いたずら)心を刺激しているようで、意地悪そうな不遜(ふそん)な笑みを浮かべて黒羽を見下ろしてくる。
「君の意見は?」
「見事だったと思います」
「いいねぇ、その顔。いかにも言いたくないことを言ってるって顔だ。いつもクールな男にそんな顔をされるのは癖になるよ」
 眉間がピクリと反応したのは、深森にもわかっただろう。冷静さを失うなと自分に言い聞かせ、悪戯な台詞は聞こえなかったような顔をする。
「ところであの話は考えてくれたか?」
 コツ、と靴音を鳴らして近づいてきた深森は、唇を耳元に近づけて小声で囁(ささや)いた。あまり大きな声で話せることではないとわかっているが、息がかかるほど近くにその存在を感じて少しばかり心が落ち着かない。
 これも深森の悪戯だろうか。
「それにはもうお答えしたはずです」
「俺が欲しいのは、あんな返事じゃない」
「何度言われましても、答えは同じです」
「だったら気が変わるまで何度もチャレンジするだけだ。落ちない相手を落とすのは、嫌いじゃない」
 さらに一歩近づかれ、思わず一歩下がる。まずいと思うが、いったんこうなると主導権は握られたも同じだ。もう一歩近づかれ、また一歩下がる。三回同じことを繰り返し、背中が壁に当たった。これ以上逃げられない。
「なぁ、黒羽」
 壁に肘をつき、その手で黒羽の髪に触れながら囁くように言う深森に心音が次第に大きくなっていく。内緒話にしても、やけに意味深な話し方をするため妖(あや)しげな空気が漂う。
「いい加減俺のところに来い。俺のものになって俺に尽くしてみたくはないか? 尽くす悦びってのを教えてやる」
 以前から自分の秘書にならないかと誘われていて断り続けているのだが、深森は一向に諦めない。なぜ自分を秘書に起用したがるのかと常々不思議に思っていたが、この態度を見るとただの嫌がらせということも考えられる。クールだと言われる黒羽が、自分のペースを乱すのを見て楽しんでいるのだ。本当にいい性格をしている。
「親同士があれほど仲が悪いのに、俺があなたの秘書になったら親父(おやじ)たちは卒倒しますよ」
「まだあのことを根に持ってるのか?」
「あなたの先祖がカラス属を黒く塗ったのがきっかけでしょう」
「お前は黒が似合うと思うけどな」
 サラリとそういう台詞が言えるところが憎らしい。鳥たらしの素質は十分にある。歯が浮くような台詞でも笑顔で言えるようでなければ政治家は務まらないが、何も自分に向かって言うことはないだろうというのが黒羽の言い分だ。
「またそんな適当なことを……」
「言っただろう? その青みがかった黒髪は綺麗だ。瞳の色もな。俺の先祖に感謝するんだな。お前の魅力が引き立ってるよ。ほら、手触りもいい」
 髪に触れられ、ジロリと睨(にら)む。
「その手には乗りません。結局、自分の先祖のおかげだと言いたいだけじゃないですか」
「俺は諦めが悪いんだよ。欲しいものは手に入れる。そのために全力を尽くすのが政治家ってもんだろう?」
 目を逸らしたら負けだとわかっているが、注がれる深森の眼差しに心拍数は上がっていった。秘書として誘われているとわかっていても、別の意味のように感じてしまう。