立ち読みコーナー
目次
258ページ
優しくほどいて    7
あとがき       250
「俺の惚れっぽさはほとんど病気だ。自分でも何がスイッチだかわからん」
「スイッチって……顔とか性格に惹かれるんじゃないのか?」
 違う、と春樹は首を振る。
 実のところ、春樹自身何がきっかけで相手に惹かれるのかよくわからない。ただ恐ろしく惚れっぽい。かと思うと、恋に落ちるのと同じくらい一瞬で気持ちが冷めたりもする。相手の些細な仕草や発言で、すっと熱が引いてしまうのだ。
 そのくせ一度好きだと思ってしまうともう片時もじっとしていられない。四六時中側にいたくなるし、昼も夜もなく相手の視線をこちらに縫い留めてしまいたくなる。名前を呼んで抱きしめて、溢れる想いをぶつけたい。
 しかし春樹の想い人は常に同性だ。軽率に想いを明かすことはできず、しかし相手の動向が気になって、想い人のSNSなどを血眼で探そうとしてしまう。目をつけた相手の後をつけて自宅を突き止めてしまいそうになったことは数知れず、一瞬でも気を緩めればストーカー街道一直線だ。
「……家の中にいながら相手の動向がわかるツイッターは本気で恐ろしい。ペットの名前がわかると案外簡単に相手を特定できてしまうことに戦慄する……」
「すっかりネットストーカーだな?」
「まだやってない! そういうやり方があると知ってガタガタしただけだ!」
「やりたい気持ちはあるわけだろ?」
 当たり前だ。だがそんなことをしたら最後、もう日の当たる道は歩けない。
 家族でもいれば気を紛らわすこともできたかもしれないが、あいにく春樹はひとり暮らしだ。アパートの一室で、携帯電話やパソコンに手を伸ばしたくなる衝動を抑えるために有効なのが料理と手芸である。一心不乱に野菜を刻んだり、毛糸の編み目を拾ったりしているとどうにか気が紛れた。特にそれが「相手のため」なら一層没頭できる。実際相手がそれを望んでいなかったとしてもだ。
 一通り話し終えると、ジョッキの中身は三分の一まで減っていた。残りも一気に飲み干してしまおうと春樹がジョッキを傾けると、それを止めるように湯ヶ原が質問を挟んできた。
「ちなみに、今朝弁当作ってた相手はどこに惚れたんだ?」
 顔と性格の他に恋に落ちる要素などあるのかと、不思議そうな顔で湯ヶ原は言う。
 春樹は一瞬迷ってから、もう今更何を取り繕うことがあるとありのままを口にした。
「……首の後ろの骨の形」
「なんて?」
 思わずといったふうに湯ヶ原が身を乗り出してきて、春樹は苦虫を噛み潰したような顔になる。
 自分でも、どうかしているのはわかっている。顔でもなく、性格でもなく、他人の体の一部を見て春樹は唐突に恋に落ちる。どちらかと言うと発作に近いレベルのもので、何か一点、例えば耳の形だとか肩のラインだとか、そういうおよそ恋愛感情を抱くポイントとは思えない箇所に目が止まった瞬間、もう恋に落ちていることが多かった。
 我が事ながら常軌を逸していると思う。首の後ろの骨の形に惚れたとは何事だ。
 せいぜい気味悪がられるだろうと思いきや、湯ヶ原の反応は思っていたのと違った。眉を寄せるでもなければ目を逸らすでもなく、ふはっと小さく噴き出したのだ。
「骨の形にまで惚れ込むなんて、難儀なもんだなぁ」
 驚くほどにのどかな声で湯ヶ原は言う。居酒屋の喧騒の中で聞くそれは湯殿に響く声に似て、低くこもってゆったり春樹の耳を打った。
 春樹の逸脱した日常を知ってもなお、仕方がないなと言いたげに笑う顔は寛容だ。想定外の反応にどんな表情を返せばいいのかわからない。居たたまれずジョッキの中身を飲み干して、代金だけ置き席を立とうとしたら店員が新たなジョッキを持ってきた。
「……? なんだ、注文してないぞ?」
「してる。こっちで」
 ジョッキを二つ受け取って、湯ヶ原はテーブルの端に置かれたタブレットに視線を向けた。最近はテーブルにタブレットを置く店が多い。店員を呼ばなくとも注文ができる。
 そんなものがあるのならわざわざ春樹からメニューを奪う必要もなかったのでは、と思ったが、メニューはとうに湯ヶ原の手元に置かれもう壁にすることができない。真新しいジョッキを差し出されれば立ち上がることも儘ならなくなり、春樹は喉の奥で低く唸って乱暴にジョッキを受け取った。
「話を聞いた感じだと、つまりお前はサンドバッグが欲しいわけだな?」
 無茶なペースで酒を飲む春樹の息継ぎのタイミングを狙って湯ヶ原が声をかけてくる。
 ほとんどつまみにも手をつけず三杯目のジョッキを飲んでいた春樹は、サンドバッグ、といくらか不明瞭な声で繰り返した。
「きっとお前は、凄く愛情深いんだよ。常に誰かに愛情を注いでいたいんだろ。表面張力でぎりぎりコップに溜まってる水みたいにいつも内側に愛が溢れてて、何かきっかけがあれば一滴の水でもそれが外に溢れ出す。だから首の後ろの骨とか、一見恋愛に結びつかないものがきっかけでも恋に落ちるんじゃないか? いっそ相手は誰でもいいのかもしれない」
 誰でもいいわけではない、と言いたかったが、これまで恋に落ちた相手の名前も顔もおぼろにしか思い出せないあたり反論ができない。湯ヶ原の言う通り、何か目につくパーツがあれば自分は誰とでも簡単に恋に落ちるのかもしれない。
「……我ながら節操がないな」
 自分でも思いがけずしょぼくれた声が出た。
 そもそも、恋をしている、と思っていたのが勘違いだったのだろうか。相手のため、と思い込んで費やしてきた時間の報われなさに、自然と視線が落ちていく。
 酒が入っているせいで頭が重い。俯くと、とん、とつむじを指でつつかれた。
「俺がサンドバッグになってやろうか?」
 優しい仕草につられて顔を上げる。テーブルの向こうから腕を伸ばした湯ヶ原が、目を細めて春樹の前髪を横に払った。
「……なんだと?」
「だから、俺のことなら好きに愛情で殴ってくれていい。ストーキングしてもいいぞ」
「——……なんだと!?」