立ち読みコーナー
目次
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キツネとタヌキの恋合戦  ……7
あとがき         ……223
『どうやって、潜入するか……だな』
 広大な敷地面積に見合った、巨大な門が聳え立っている。格子状になっていて、隙間には手を突っ込むのがやっとだ。
 そうしてゴソゴソしていた佳寿の耳に、車のエンジン音が近づいてきた。
 身を縮めてやり過ごそうとしたけれど、黒いセダンは佳寿のすぐ脇で停車する。運転席のドアが開いたかと思えば、ヒョイと身体を持ち上げられた。
『っっ! は、離せっっ』
 ジタバタと脚をバタつかせたけれど、無様に空を掻くのみだった。
 まさかいきなり抱き上げられるとは思わず、逃げなかった己の迂闊さを嘆いても後の祭りだ。
 なんとか逃れようと、必死で暴れる佳寿の脇の下に手を入れて持ち上げているのは、どうやら男のようだ。
 門燈の光は強いものではないが、これがネクタイを締めたスーツ姿の若い男ということだけはわかる。
「暴れるなよ。落とすぞ」
 物騒な言葉に、思わず身体から力を抜く。男は、動きが鈍くなった佳寿の身体をさらに高々と掲げると、低い声でつぶやいた。
「なんだ? ポメ……ラニアン?」
『おいこら男、語尾に疑問符をつけるなっ。失礼な。どこからどう見ても、かわいいポメラニアンだろうっ?』
 思わず口にした佳寿の反論は、人間の耳にはキャンキャンという高い声での吠え声にしか聞こえないはずだ。
 それなのに、男は……プッと噴き出した。
「ぶっさいくなポメラニアンだな。あ、オスだ。……貧相なシンボル」
 頭の天辺から、尻尾の先まで。マジマジと佳寿の全身を眺めた男は、腹のところに視線を当ててボソッとつけ加える。
 その途端、カーッと首から上に血が集まった。
『無礼なっっ。なんて、失礼な男だ!』
 自分では会心の出来だと自負している変化に疑問符をつけられたことも、無遠慮に下腹部を見られた上に『貧相』と評価されたことも。
 すべてが佳寿のプライドを傷つける。
『ちくしょうっ。こんな屈辱は初めてだ』
 男は、牙を剥き出しにして、ガルル……と唸った『犬』に微塵も怯む様子はない。淡い光の下、ジッと佳寿の顔を見ている。
 佳寿の身体が門燈を背にしていることで、男の顔に影が落ちている。薄暗くて、ハッキリと目にすることができない。
 だが、男からは佳寿の様子が見て取れるらしい。
「涙目だ。キャンキャン吠えているし……腹が減ってるのか? うちにはドーベルマン用のドッグフードしかないけど、食うかなぁ」
 そうつぶやいた直後、小脇に抱え直された。
 このままでは、見ず知らずの男に拉致されてしまう。そんな危機感が全身を包み、手足の動きを再開させた。
『下ろしやがれっ。おれをどこに連れていく気だ!』
 男は、なんとかして逃れようとバタつく佳寿をものともせずに抱えたまま、車の運転席に戻る。
 バタンとドアが閉められて、男の膝から助手席のシートへ飛び移った。
『ヤバい、なんとか逃げ……っ?』
 外の様子を窺うため、助手席の窓に前脚をかけた佳寿の目の前で、巨大な門扉がゆっくりと開く。
 あ……あれ? もしかして、この屋敷の関係者なのか?
 佳寿を乗せた車は、当然のように屋敷の庭へと進んだ。車の後方で、扉が閉まる音がする。
 どうすれば潜り込めるか途方に暮れていたのだが、労せずして目的地である屋敷の敷地内へ入れることになったらしい。
 佳寿は、己の幸運に心の中で『ラッキー』とつぶやく。このまま乗っていようとほくそ笑んで、助手席のシートに座り込んだ。
「あぁ? 大人しくなったな。ドッグフードって言葉がわかったのか。やっぱり、飼い犬の迷子だろうな」
 佳寿が暴れることをやめた理由をそう決めつけた男は、ゆっくりと車を走らせて立派な造りのガレージへと車体を滑り込ませた。
 車のエンジンを切ると、再び右手で佳寿を抱えて車を降り、屋敷内へ続いているらしいドアを開く。
「お帰りなさいませ」
 ガレージのシャッター音が聞こえていたのか、エプロンを身につけた中年の女性が、小走りで駆け寄ってくる。
 年齢的に考えて、奥さんではなく母親くらいだろうと思うが、それにしては他人行儀な雰囲気だ。
 これだけ大きな屋敷なのだから、家政婦さんというやつかもしれない。
「あら……そちらの犬? は、どうなさったのですか?」
 男が抱えている佳寿を目に留めると、不思議そうに小首を傾げた。
 どうでもいいが、またしても『犬?』と疑問符をつけられてしまった。この男といい、失礼な人間ばかりだ。
 佳寿の脇の下に両手を入れて女性の前に掲げた男は、淡々とした口調で経緯を説明する。
「門のところにいたんだ。迷子だろうな。飼い犬だと思うが、雨が降ってきたからとりあえず連れてきた。ドッグフードを用意してくれ」
「ドーベルマン用のドライフードだと、大粒でこの子には食べづらいんじゃないですかねぇ。小型犬ですし」
「……そうか」
「ああ、そういえば試供品でいただいた半生タイプのフードがあります。そちらを用意しましょうか」
「ああ、じゃあ頼む」
 頭上で交わされる会話に、佳寿はピクピクと尖った耳を震わせる。
 せっかく用意してくれるそうなのに悪いが、ドッグフードなど食べない。いくら犬に化けていても、佳寿の食い意地が張っていても……。
「依吹さん、お夕飯は不要とのことでしたが軽食を召し上がりますか?」
「あー……じゃあ、ついでに頼もうかな。商談ついでの食事は、どうも味気がなくて腹に溜まらない。コイツの飯と一緒に、部屋に持ってきてくれ」
「はい、では少々お待ちください」
 うなずいた女性は、踵を返して早足で廊下を歩いていった。
 今、この男のことを『依吹』と呼んだか?
 だらんと脚をぶらつかせていた佳寿は、背後から男の手に持ち上げられたまま恐る恐る振り返る。
 ということは、この男が『神代依吹』なのか。
 佳寿が事前に仕入れた情報では、『神代』の直系男子、跡取りで……年齢は三十歳になったばかり。
 廊下を照らす明るい電灯の下、初めてきちんと目に映した男は……冗談のような男前だった。
 色素の薄い、山吹色の髪。メガネのレンズ越しに見える瞳の色も、真っ黒ではない。アーモンド形の目は『どんぐり眼』と言われる佳寿とは対照的な涼しげな印象で、うらやましいとか妬ましいという感情さえ湧いてこない。
 それらを通り越して、感嘆の息をつくのみだ。少なくとも、郷のあたりではお目にかかったことのない美形だった。
 テレビに出ている、芸能人と呼ばれている人たちでも、これほど整った顔をしていないと思う。
 ポカンと目を見開いて唖然としている佳寿と視線が合った依吹は、ほんの少し唇の端を吊り上げて微笑を滲ませる。
「部屋に入れる前に、シャンプーだな。おまえ、薄汚れている……と思ったが、もしかしてそういう毛色なのか」
『か、重ね重ね失礼な男だ』
 間近に迫ったキレイな顔に見惚れていた佳寿は、カチンとして鼻にシワを寄せた。
 目を奪われていたこと自体も不覚だが、この男にそんなふうに言われたら反論できないあたりが一番悔しい。
「濡れタオルで足の裏を拭くだけでいいか。おい、ポメ。俺の部屋に入れてやるが、粗相をするなよ?」
 勝手なことを言いながら佳寿を胸元に抱えると、大股で廊下を歩き出す。
 佳寿の自宅である寺内家と似た雰囲気の、純和風の屋敷だ。きっと、敷地面積も歴史的にも似たようなものだろう。
 ただ一つ、立地が全然違う。
 寺内の屋敷は四国の田舎にあるが、ここは都心の一等地だ。地価には数倍以上の開きがあるはずで……下手したら桁が一つ違う。
 自室らしき部屋の襖を開けた依吹は、抱えていた佳寿を畳に敷かれた円形のラグマットの上に下ろしてスーツの上着から袖を抜いた。キョロキョロしている佳寿をよそに、マイペースでスーツからラフな服装へと着替える。
 ラフとはいっても、トランクス一枚とかではなく薄手のパンツに襟のついた半袖シャツを着用するあたり、いかにも育ちがよさそうで……なんだか腹が立つ。この立派なお屋敷も、世界に轟く『神代』というグローバル企業も、自分たちを踏み台にして築いたものに違いない。
 少なくとも佳寿は、そう聞かされて育った。
「飼われているなら、ご主人が捜しているだろ。ただ、このあたりでは見かけたことがないなぁ。遠くから来たのか?」
 ひょいと佳寿を抱き上げると、そう尋ねてくる。犬に話しかけても、答えなどないとわかっているはずだが。
「んー……首輪もないか。しかし、見れば見るほど……くくっ、不細工だな。本当にポメラニアンかぁ?」
 あからさまにバカにされて、ふんっ、と顔を背けた。
 お手本としたペットショップにいたポメラニアンは、母親がチャンピオン犬だとかで愛くるしい姿だった。
 あの姿を寸分違わず模倣したつもりだが、不細工だと笑われるあたり……コピーミスをしてしまっているのだろう。
 ……どうせ、自分は不器用だ。郷の幼馴染みたちにも、直系のくせに化け下手だと笑われていた。
 分家の叔父たちには、佳寿が跡取りじゃなくてよかったと陰でコソコソ話されているのも知っている。
 だからこそ、ここで名誉挽回をしなければ!
 少しばかり情けない方法かもしれないけれど、まんまと『神代』の屋敷に潜入できたのだから、この機会を生かさない理由はない。
 無遠慮に頭や身体を撫で回してくる依吹の手を嫌がって見せながら、自分に課せられた役目を思い起こして奥歯を噛んだ。